ノイズの多い生活。
ほんのちょっとスマホを見るだけで情報が滝のように押し寄せてくるような気がします。自分から取りに行くと決めているのであれば問題ないのですが、ぼんやりと画面をスクロールし始めたら危険です・・・。あっという間に時間が経ってしまう上、画面を凝視しすぎて目がショボショボするし、目の下にクマまでできていて・・・。見るも無残な自分の姿にがっかりしてしまいます。「おーっと、こんな姿になってしまった~」と画面の向こうに透ける自分の顔にガッカリすること日常茶飯事。
私はこの頃、リサーチすることが多くなって、パソコンの画面で色々なサイトをみることがあるので細心の注意が必要です。
そんな時は
【時間を決める】
何時までスマホを見ていても良いか。いつになったら辞めるか。その時間が来たらその次の行動も考えておくことです。時間になったら立ち上がってストレッチをする…そして次の作業に移るなど。
そして
【何を見るか】
『インテリア系』『食べ物系』『ファッション系』などのジャンルを決めて、今この時間に見たい情報を取りに行く。そこで自分の興味あることが何かを知ることができ、新しい発見を見つけることができるかもしれません。時にはジャンルを決めずに、時間が来るまで流され続けて興味のあるジャンルを見つけることもあるかもしれません。それもまた面白いですよね。
とはいえ、流れていくものを追いかけて行ったら、気がついたら別の場所にいた・・・なんていうことがほとんど。それでも頭の片隅に【自分の時間をコントロールする】ということを気にかけていたら、人生はもっともっと豊かな彩に包まれていくような気がします。
先日、スイスに住む次女が素敵な写真を送ってくれました。
自室から徒歩2分くらいの湖畔まで、レンチンしたラビオリを持参して食べたそうです。日陰に入ると肌寒いくらいなので、ランチを食べて本を読んで30分くらいで帰ったそうです。次女の住んでいる家は、何人かの音大生との共同キッチン・洗濯場、バスルームは隣の部屋の子と共同です。個室が狭くて屋根が低い(屋根裏部屋)ため、ちょっと不便なところはあるようですが、以前の家より通学時間が短くなったのでなんとか頑張っている様子です。海外で部屋を見つけるのは容易なことではなく、学校に寮もないので一人暮らしをする学生が多いです。自室で楽器の練習ができるところは本当に少ないので、学生は学校の練習室にこもることが多いです。次女の家は代々音大生が住んでいるとのことで、許可された時間内は練習が可能とのことです。限られた予算の中から部屋を探して生活を立ち上げていくのは大変です。遠い日本からの留学は、生活スタイルの違いや国民性といったことも関係してくるので気になることはたくさんあるようです。キッチンやシャワーの使い方や、ドアの開閉音、冷蔵庫の温度など・・・話を聞いていると本当に大変そうです。次女はスイスで3年の間に3回引越ししていて、いずれも自力で荷物を運んだという強者です。いずれも学生寮や単身用のアパートに希望を出しても「スイス人の保証人が必要」と言われて断念したり、予告なく希望を取り下げられてりして苦労していました。私は毎回ハラハラして見守っているだけなのですが、本人は「やるしかないのよ」と。手伝いにちょこっと行く・・・ということができないので、応援するくらいしかできないのが歯がゆくもあります。思えば私も無我夢中で生活した経験があるので、嫌なことも良いことも全部自分の糧になると信じています。糧にできるかどうか…。それは自分次第でもあります。
次女がフランス語を話している様子は見たことがないので、ちょっと覗きに行ってみたい気持ちになります。
年々、暑くなる時期が早まっているように思います。
今週末はかなり高温になるとのこと。
体調管理が大切になってきますね。
私が気をつけているのは主に食べ物。過不足なく栄養を摂りたいと思っています。冷蔵庫に欠かせない食材としては「卵」。必須アミノ酸が多く含まれてタンパク質も取り入れることができます。料理も簡単でバリエーションが多く、「困ったら卵」が私の中での安心材料となっています。ただ、家族の人数が減ったので消費に時間がかかることが多くなりました。そこで、3~4個のゆで卵を冷蔵庫に常備しておくことにしました。小腹がすいたら「ゆで卵」。おやつに「ゆで卵」。サラダに「ゆで卵」。おかげでジャンクなおやつを食べることが少なくなりました。年齢と共に労わらなくてはならない自分の身体。足したり引いたりしながら、身体の声を聴く訓練をしたいものです。
2年半前から月に2回英会話をプライベートで習っています。
会話を習う・・・って、何となくおかしい響きですね・・・
英語の勉強は中学一年生で挫折しているので、得意ではありません。
外国語に初めて触れたのは小学校2年生のとき。それもドイツ語でした。小学校2年生から5年生まで父の仕事の都合でドイツに住んでいたことがあり、その時に通っていた日本人学校でドイツ語の授業がありました。大きな部屋にドイツ語初級者の、学年もバラバラの生徒たちが集められて授業を受けていました。6学年違う姉も、最初は一緒の授業を受けていたのですから・・・今考えれば信じられない状況でしたね・・・当時の私はアルファベットも知らない状態だったので、授業に全くついていけず、母があわててアルファベットから教えてくれました。たしか、大教室での授業も短期間のうちに学年別に分けられていったような記憶があります。学校以外の買い物へ行ったり、交通機関で聞こえてくる言語はドイツ語なので、ドイツ語の響きが慣れてくるとドンドンレベルが上がっていきました。同級生たちは、みんな頭が良くてスイスイ理解しているので、私も理解していると錯覚していました・・・
日本に帰国してからもドイツ語の響きは覚えているので得意になっていたのですが、中学校で英語に触れてから外国語が全然わからなくなってしまいました。英語が楽しいと思えない。文法用語がわからない。ドイツ語の方が楽しかったなぁ・・と思っていました。耳が覚えているドイツ語を頼りに、高校ではドイツ語の授業を受けましたが、やはり基本となる文法がアタマになかなか入ってくれませんでした。そのままドイツ留学して、実地でスキルを上げていったようなものです。そのうちに外国語の話し方にコツをみつけて、なんとかドイツで生きていたような気がします。そして今もなお、文法用語に四苦八苦しながら勉強しています。
今の先生とは、私がトピックを持参してひたすら話をし、途中で文法的にわからなくなったり、どういう言い回しが適切かをチェックしてもらっています。
昨日は「母の日」でしたね。
流れてくるSNSにきれいなお花が投稿されているのを見てたのしんでいました。
「母のお墓参りに行きましたが、敢えて赤いカーネーションを飾りました」という言葉にハッとしました。赤いカーネーションは健在の母へ。白いカーネーションは亡き母へ。その区別は悲しい気持ちになります。私自身は赤でも白でもなく、ピンクくらいが一番かわいいのではないかと思っています。
そもそもの始まりは、白いカーネーションからだったそうです。20世紀初めのアメリカで、志半ばで亡くなった母を思い、追悼会で娘が参列者に白いカーネーションを贈ったことが始まりとか。その後、5月の第2日曜日を「母のための祝日」を設ける活動をしたということです。国によって日にちが違うこともあるので、必ずしも5月第2日曜ではありませんが、「母のことを思う日」があることは良いなぁ・・・と思います。
私の母は62歳で亡くなりました。私が結婚して半年くらいで肺がん末期・余命1年以内と宣告されたので、そのあたりの生活は無我夢中でした。結婚してからアタフタする生活のことも、妊娠出産・子育ても母に相談することができなくて苦労しました。自分自身がどういう風に育てられたのか、どんな状況だったのかをもっともっと知りたかったです。でも、母がいなくても家族が助けてくれました。何もできなかった父が娘たちのオムツを替えていましたし、姉も細やかに娘たちの応援をしてくれます。家族でなんでも協力してきたので義両親も心置きなく娘たちをかわいがることができたと思っています。
母が亡くなって28年が経とうとしています。あちらの世界でかなりの年数を過ごしているので、私の中ではとても落ち着いている雰囲気が感じられます。何が起こっても支えてもらっているような安心感があります。
「ママのお母さんに会ってみたかったなぁ」と娘たちが言います。私も会わせたかったです。
母の日。
小さい子どもから、年を重ねた男性も女性も、ほんの少し「母」という存在に想いを馳せる日になったことでしょうね。
