私は今、50代後半を歩いています。
50代は予想外の出来事が多く、今まで生きてきた年代を改めて思いなおす時期にも重なりました。
その一つが、ライフオーガナイザーという職業に出会ったことかもしれません。
ヴァイオリニストなのに、どうしてライフオーガナイザーになったのですか?
よく聞かれる質問です。
私自身は、音楽家も一人の生活する人間ということで、ライフオーガナイザーという職業についての違和感はありません。
思考や生活空間が乱れれば、パフォーマンスに支障が出ることは当たり前のこと。
そこを物理的に改善できるのであれば、その方法を知っていることに損はありません。
転機は50歳という年齢でした。
元気な高齢者がもてはやされ、【人生100年時代】と言われ始めたころです。
私自身は「あと50年もあるのか・・・」と否定的な思いも強く、「いつまでヴァイオリンを弾くことができるのだろうか?」という不安が押し寄せました。うっすらと心の中では不安に感じながらも、「100歳でベートーヴェンのソナタを10番まで弾く!」なんていう途方もない目標を立てたりしました。その時の家族のことなど考えもせずに・・・。なんとなくジタバタしながら、子どもたちの巣立った後、夫との老後、人生の目的などに想いをめぐらし始めたころ、コロナの時代に突入しました。
今まで整頓されていたと思っていた我が家は、家族4人が常に一緒に生活していくには窮屈で居心地が悪かったです。
勉強や仕事に追われる家族を横目に、自分の居場所がなくてイライラする私。ヴァイオリンの練習もきちんとすることができず、当面の自分のやるべきことは家族の食事準備や掃除。近くに住むけれど高齢のためにサポートの必要な父の安否。とにかく家族それぞれが居心地の良い空間を取り戻そうと躍起になっていた気がします。それでも私は自分自身を取り戻すことができない。自分の仕事(練習)を、家族がいる時にできないというジレンマ。それまできちんと自分の練習時間を家族に共有していなかったツケがまわってきただけでした。
そんな時に出会ったブログに「88歳の時に、あなたは何をしていますか?」という問いかけ。
100歳よりもう少し現実的な問いかけ。30年後なら少し想像ができる。
アタマのまわらない日。
今年は・・・という言葉が適当かどうかもわからないけれど。
何をするにも二の足を踏んでいるような気がする。
もしかして、足がすくんでいるのかも。
寿命のことを考え始めて逝ってしまった人のことを強く思う日々。
それは春という季節が私にもたらすモノなのかも、とも思う。
ブログ執筆も、今年も80を過ぎたけれど、きちんと書きあげている記事は案外少ないのかもしれないと愕然とする。
何度も書き直しても文章がまとまらない日もある。
そんなときは「しょーがないなー」「そんな日もある」とつぶやく。
でも、私はここであきらめない。
とにかく書く。
できる人は、必ずそんな時でも物事を遂行しているから。
たとえそれが駄作になったとしても、行動することに意味があることを知っているから。
ヴァイオリンの練習も同じ。
「今日は集中できそうにないなぁ。無理そう」と思っても、とにかく楽器ケースを開ける。
調弦する。
それだけで身体のどこかにスイッチが入る。
毎日質の良い練習なんてできないことはわかっている。
時々、すっぽりと落ち込んで弾けなくなることがある。
そんなときは、「しょーがないなー」「そんな日もある」とつぶやきながら、ヴァイオリンを弾く。

春分の日。
祝日の今日は朝から気温が上がらず雨模様になりました。
昨日、東京で桜の開花宣言があり春本番かと思いきや、こうして気温が下がると寒暖差に体調が乱れがちです。
今年は寒暖差がいつもより激しいような気がするのは、なぜでしょうね。
それでなくとも年度が替わる時期ですから、まとめの時期、新しい環境、細かい書類作業など、ストレスを感じやすいことも重なって自律神経に負荷がかかります。交感神経が働き続け、身体が緊張した状態が続くということです。血管が緊張して流れが滞り、動悸、イライラ、落ち込みなどの不調。身体が緊張して食欲不振、下痢や便秘、睡眠障害などの影響もでてきます。
どれも今の私に当てはまるような症状ばかりです・・・
ふとした気のゆるみから風邪をひき込み、回復まで時間がかかりました。
決まっていた予定は気合で乗り越えられたのですが、なぜかすっきり治らないのはトシのせいなんでしょうか・・・
考え出すとネガティブになっていくのでストップします・・・
少しでも解消するための第一歩は、「深呼吸」
とりあえずゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐く。
3回繰り返すことができれば、確実にラクになります。
それだけで充分。
以前はそんなことすらできずに、アタフタと予定をこなし、無理をして体調を悪化させて、それでも頑張れると突っ走っていました。
でも、それは体力があったから、そういう無理ができたから。
今は自分が倒れたら、だれも面倒を見てくれないので、自分で管理するしかありません。
一人で倒れていたら、色々な人にご迷惑をおかけするのは目に見えています。
これからは、「どのようにブレーキをかけたらよいのか」を学ぶことが必要のようです。
「いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
私はその会話を最後に、二度と生きている夫に会うことができませんでした。
一番恐れていた別れ。
一番記憶に残したくなかった出来事。
今から3年前に、父の余命宣告を受け止めながら過ごしていた日々での出来事でした。
「余命」という言葉を聞くのも重くて苦しいけれど「突然」という別れも苦しいものです。
小説やニュースの出来事のようなことが、現実に自分に起こっていることに混乱し、不安にさいなまれ、絶望し、慟哭すると同時に、とんでもない数の連絡と手続きに決断を迫れられて、ごうごうと流れる激流に流されていく感覚がありました。ただ、その流れに流されてはいけない、自分自身である程度コントロールしなければ、という思いが沸き上がってきたことを覚えています。
そしてそのことを可能にするために、外部に対して氷のように感情を密閉することにしました。
私の場合は、そうすることで様々な手続きと日常生活を進めることができましたし、大量の決定事項を忍耐強く勧めることができました。
実際に手や身体を使って進める手続きは簡単です。
目に見えて進捗がわかるからです。
しかし、心は自分でもわからないものです。
自分自身でよく観察し、自分に問いかけ、自分の許容範囲を正確に判定しなければ、自身が病んでしまうのは簡単なことです。
今、しなくてはならないこと。
今、決断しなければならないこと。
少し待っても良いこと。
時間に任せればよいこと。
混乱した状況の中で、少しでも冷静に要られたことは、私がライフオーガナイズを学んでいたからだと思います。
私の母は、自分の両親亡き後の相続手続きで困難な状況が2年ほど続きました。
今まで世間知らずだったことが禍になり、精神的な負担が大きかった様子でした。
それでもなんとかすべてにきちんとカタをつけて「無事に終えられたわ」と手紙で知らされた時は私もホッとしました。
私自身はドイツ在住時だったので何も手助けができませんでした。
束の間、落ち着いた時期を過ごしたと思ったら、肺がん末期の宣告。
ストレスが、がん発症の一番のリスクということは本当のことです。
「喪の作業」は思っているよりも負荷がかかります。
外からは見ることのできない、深い悲しみと回復作業が行われていることに、他人は気づくことができないのです。
私は自分がこういった経験をするまでに、どれだけ他の人のことを傷つけたんだろうか・・・と苦しく思います。
その人に、ちゃんと「共感すること」ができなかったですし、「思いを寄せる」ことができなかったように思います。
「喪の作業」は本当に深くて重くて苦しいものです。
私は自分の辛さや自分の経験を、他の人と比較をしないと決めています。
その人なりの「喪の作業」があり、その人自身の「回復段階」があること、そしてその期間はその人によって何年もかかるということ。
あれから3回目の4月がやってきます。
私の「喪の作業」はまだまだ続きます。
多分一生。