塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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76「人の命をかんがえる・余命」

2026/03/17
76「人の命をかんがえる・余命」
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今の時代、余命の話やお墓問題、相続に関しての話題が少しだけオープンに語られるようになってきた気がします。

老後の資金について、空き家問題、少子化・超高齢化社会の重さなどが、私のような一般的な生活者にも気づいてしまえるような状態になってきたからかもしれません。または、自分がその問題を通り抜けてきて、自分事としてとらえられるようになったからかもしれません。


【余命】という言葉を聞いたのは母を亡くすときに初めて聴きました。

「余命半年です」という医師の言葉を父が私に伝えました。

そのとき私は全く想像がつかず「1年以内なんだ」というボンヤリとした気持ちでした。

4か月後、母が自分で病院に連れてってくれといって入院した時も、私は「長い入院生活になるかも」とのんきに入院必需品を買いに行った覚えがあります。入院後に父と一緒に医師に呼ばれて聞いた言葉は「今日か明日・・・」と最後まではっきりと聞き取れませんでした。結局私の買ったものは何一つ使われず、入院の翌日に母は逝きました。母と仲の良かった叔母が、病院の売店で買ってくれた紫の小花模様のパジャマが似合っていました。喪主が父だったため、私は夫とともにアシストする役目でした。

父の気持ちまで心が追いつかなかったことを覚えています。


父の場合は「あと1~2週間くらいです。1か月は持ちません」と言われました。

それが長いのか短いのか・・・その時の私には全く想像がつきませんでした。

ケアホームに入居していたので、すぐに「看取り期の介護契約」に切り替わっていきました。

とにかく私は父が安らかに過ごせるように、今生に悔いなく安心できるように、ヴァイオリンをもって毎日のように父を訪ねました。

結局父は、3週間半で逝きました。


そのとき私は「お医者さんの見立てというのは、すごく正確なんだなぁ。プロなんだなぁ。」と尊敬の念をもって思いました。

私たちには見えないその人の体の状況を把握して、正確に判断して家族に伝えることができるのは、知識と多くの経験なのでしょう。

どちらの日々も、とても重くて辛い日々でした。

いつ連絡があるのかわからない状態は、常に精神が臨戦態勢です。

そして、その先のことも準備しておかなければならないことも辛さに拍車をかけます。

葬儀に至るまでの手順やその後の膨大な手続き、後片付け、様々なケア。

私はどんなに辛くても予備知識として、頭に入れておくことは大切だと思います。

決められた順序があるならば、そのまま機械的に作業を進めること。

深く思いを巡らすことをせず、他のケアをすると決める。

自分は大丈夫か。

他の家族は大丈夫か。

連絡漏れはないか。

やるべきことはしっかりできているか。

傍から見れば、なんと冷たい娘なんだろうと思われることもあったかもしれません。

母のときには、祖父の葬儀経験が役に立ちました。

父のときは母の葬儀経験がそのまま活かされました。

25年の月日が経っていましたが、亡き人を収める手順に大きな変わりはありませんでした。

当事者として、決めなければならないことや、手続き関係をこなすのは大変なことですが、それも身内だから最後はしっかりと見送りたい、という一念でした。



今は年度末。

一つの区切りを感じることも多い季節です。

私自身は人生の先を追いかけて急いでいるように思えるときもありますが、生きるということはそういうことなのかもしれない・・・と静かに思う日々です。