こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
今日は私が今回のリサイタルの曲目を
どのように決めたのか?という経緯をお話ししましょう。
今回のプログラムの中で決定していた曲は
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第10番とプーランク。
プーランクに関しては、
去年のリサイタルに弾こうと思っていたのですが
「クロイツェルソナタ」とカップリングするには
自分の体力的にも内容的にも
かなり無理があるので断念。
今年のチャレンジとして準備していたのですが
他の曲がなかなか思いつかずに苦労しました。
そこで、ChatGPTに相談すると
「ガルシア・ロルカ」というポイントを見つけてくれて
ファリャの「スペイン民謡組曲」を勧めてくれました。
なるほど・・・と思いつつも
実はスペインの作曲家はあまり自信がなくて
迷いました。
「ちゃんと本物の音楽が伝えられるのだろうか?」
小さな曲の集まる組曲は、それぞれの音楽を
短時間で浮き彫りにする高度な技術と精神が必要です。
どちらかというと、じっくりと表現できるソナタが得意な私は
組曲のもつ瞬発力や展開の切り替えが苦手です・・・
でも、これを機に勉強してみるのもよいかもしれないと思いなおし
3曲は決まりました。
今年は無伴奏を入れようと思っていました。
久しぶりにしっかりと暗譜して、アタマに喝を入れて
尚且つ思い入れのある曲と言えばイザイ。
思い出のあるこの曲は、ドイツ留学時代の初めに勉強して
卒業演奏会で両親にも夫にも聞いてもらいました。
その後も節目になる年に演奏するような
エポックメイキングな曲。
今年の自分にピッタリだと思いました。
さて、これらの曲でリサイタルを始めるには無理があります。
イザイからコンサートを始める勇気はなく、
そして、時間的に若干短すぎる・・・
なにかリサイタルへ誘う曲がほしい・・・
そこに、長女からおススメされていた芥川の曲が思い浮かびました。
「譚詩曲(BALLATA)」
執拗なリズムオスティナートは
私の心の鼓動でもあり
自分で自分を傷つける痛みでもある。
そこへ日本の風景が重なる音列に
自分自身の感情の起伏を乗せて弾くことができたなら
この2年半の喪の期間が
再生へと向かうことができるのかもしれない。
私が音楽に乗せる感情は
全て自分が経験したことが素になっています。
それは嘘偽りがないものです。
曲が決まると、あとは演出。
初めてクラシック音楽を聴く方も
楽しめるようなちょっとした演出は
今の業界では普通のことです。
過度な演出は私の目的【本物を聴く】から外れるので
最小限でも印象的に使いたい。
そうなると照明。
暗転から照明のフェードインは2年前に経験済み。
・・・あ、また塚本はこの方法選んだな・・・と
思われた方もいらしたかもしれませんね。
2年前の思惑としては、始まるときの拍手が煩わしかったから。
拍手に迎えられて笑顔で舞台へ出ていく自信がなく
とにかく、自分だけに集中したかったからという理由でした。
しかし、今回は完全に演出。
芥川の世界観に誘うにはこの方法しか考えられませんでした。
(音出しキッカケから10秒で照明100%がリクエストでした)
芥川(導入・詩)→
ファリャ(スペイン各地を巡りながら言葉を想像する)→
プーランク(ロルカの詩から戦争・死の表現・喪)→
イザイ(塚本個人のエポックメイキング曲・展開)→
ベートーヴェン(リサイタル本来の目的への回帰・最終着地点)
ここまで創りあげるのは
なかなか難しいのですが
毎年のリサイタルはテーマも含めて
かなり熟考を重ねます。
その他、今年のリサイタルで気をつけたことの中に
MCをいつもより厳選しました。
(それでも、しゃべりすぎましたが・・・)
わかりやすく、言葉を選んだつもりです。
これは、アナウンサーの友人からアドバイスされたことと
お芝居を見に行って女優さんに学んだことです。
やはり、プロフェッショナルな方には
学ぶことが多いです。
私のコンサートは
楽しいけれど
学びがあって
自分の心の中にある
まだ開けていないドアをノックして
耳を澄ませてみる
・・・そんなコンセプトなのかもしれません。