【清明】せいめい
草木が芽吹いて生き生きと清らかに動き出す季節。「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」の略とのこと。
「清明」という字をみるだけで、なんだか風や水が粛々と流れていくような様子が目に浮かびます。大地がやわらかくなって水が流れ出して、風が動き出すような。今年は4月になってから特に変化が大きいような気がします。
4月になって空気が変わりましたね。
春の香りがして、冬とは違った濃い空気を感じます。
季節の変わり目は身体の巡りが少し滞るので、負担のかからないように過ごすことを目標にしています。私の場合は、食べ物が自分にとって重要なことに気がついてから、体調を整えるときは自分の味付けを信じることにしています。3月末に体調を崩してから食べ物を少し見直して、ほんの少しだけ食材に敏感になろうとしています。4月になったので、スーパーに並ぶ食材も少しずつ変化していますね。季節が完全に春に変わったことを感じます。旬のものを食べるのが一番ですが、春の季節は食べ物の勢いが強いので、少しずついただくようにするのも良いかもしれません。私がこの時期から好んで手に取るものが「新たまねぎ」。乾燥せずにそのまま出荷されるため、皮が薄くて水分が多いのが特徴。甘みがあるので水でさらさなくてもすぐに食べることができます。私のお気に入りは、①玉ねぎ1個分を半分に切ってから薄くスライスして②ごま油(大1)+お酢(大2)+醤油(ほんの少し)で味付けして完了のサラダ。それぞれの分量は加減してみてください。私はお酢多めが好み。5月中旬くらいまで、ほぼ毎日のように食卓に上がります。玉ねぎは滞っている気を巡らす役目もあるので、春の息吹に乗り切れず、内にこもっているようなモヤモヤを巡らせるにも役立つのではないかと思います。
スーパーで食材を眺めながら、季節の移り変わりを目で感じて、今夜の献立を考えてみませんか?
穏やかな陽気から花散らしの雨模様へ。
「アタマを空っぽにすること」
ここ最近、大切にしていることです。
何も考えないことに集中するのは、案外大変なことです。
洗濯や掃除、返さなければならないメールや食事の献立、買い物やスケジュールについてなど。
私の場合はいろんな作業をしつつ、だんだん別のことに集中してしまって元の位置に戻れなくなることが日常茶飯事です。
そんなときは、流しっぱなしにしていたアレクサの音楽を止めて、スマホをミュートにして、パソコンを閉じれば、ほぼ音に関する制約がなくなります。
いつもと違うダイニングテーブルの椅子に座って天井を見上げる。
窓に打ち付けられる雨の粒をみながら、ゆっくり瞬きする。
首をゆっくり左右に傾けてストレッチしながら、深呼吸する。
目をつぶって自分の呼吸だけを意識する。
ほんの10分だけ。
その時間を、これからはより大切にしていきたいと思っています。
少しずつ変化の兆しを感じる4月。
この先のことをより深く考える日々です。
これからの時間を考えると、できることは限られてくるのかなぁ、と思いながら毎日の時間を刻んでいきたいです。
大きな決断をしなければならないとき、何を元に考えたら良いのだろうか。
先日の午前中に庭の雑草取りをしながら考えたその時は、すでに『でも、決まっているんだよなぁ』という思いだった。どんなに考えても、草むしりをしながら考えることなんて、それまで、髪の毛をかきむしりながら出した答えが正解なんだ・・ということを自分で知っている。
私は考えて決断するのが早い時と遅い時がある。
実家を売却すると決めたのは、父が亡くなってすぐだった。
ある人は「賃貸にしたら?」とか「まだ早いのでは?」という意見を言ってくれたけれど、私の中にある答えが揺るがなかった。
相続手続きのために実際に動き出したのは9か月後だったけれど、決心は硬かった。
庭のリフォームを決めた時は、計画の投資にどれくらいかけるかに悩んで結局2年くらいかかったけれど、細かい決断は案外早い方で、施工会社の営業の方にも「もっと悩む方の方が多いです」とも言われた。
大きな決断というのは最後の一歩で、それが一番ハードルが高い。
エイっと乗り越えられるか、やめておこう、と逡巡する時間が私にとって「無心になる作業をする」ことかもしれない。
全部考え尽くした後に、スイとよぎる思いに全神経を傾ける。そのときに「よし」と思うか「やめよう」と思うか。その判断時間をあまり長引かせないようにすることを心がけている。
その感覚は、私が舞台でヴァイオリンを弾きだす瞬間に似ている。
「今だ」と思う「一瞬」。
それは感覚的に、もしくは動物的な勘で私の中に宿っているものだと思う。
だから弾き始めた時に「さぁ、もう引き返せない。ゴールへ向かおう」という闘志がみなぎってくる。
生きることも同じ。
命が続く限り、決断をしない日なんてないわけだから、その判断を正解にするべく必死になって生きなければならない。
怠惰な時間を過ごしていても、全力で怠惰を経験していれば良いわけで、それを誰も咎めることはできない。もちろん自分自身でさえも。
決断は小さくても大きくても同じ。
ハードルが少し高くなったり低くなったりするだけなんだな、と思うけれどなかなか思うようにいかないのが自分なのかもしれない。
巡る思いは春のお天気のように気まぐれだ。