塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2026/04/06
96「春本番」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

昨日は二十四節気の「清明」でした。

【清明】せいめい

草木が芽吹いて生き生きと清らかに動き出す季節。「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」の略とのこと。

「清明」という字をみるだけで、なんだか風や水が粛々と流れていくような様子が目に浮かびます。大地がやわらかくなって水が流れ出して、風が動き出すような。今年は4月になってから特に変化が大きいような気がします。

今日は特に汗ばむような陽気。

七十二候では「玄鳥至」(つばめきたる)
ツバメが南の国から渡ってくる頃。「玄鳥(げんちょう)」は黒い鳥のこと。

キリスト教では、昨日は復活日でした。(移動祝日のため、毎年日にちが違います)イエス・キリストが十字架にかけられ3日後によみがえったという奇跡の話を語り継ぐために、信徒にとっては重要な行事です。ヨーロッパでは金曜日(キリスト磔刑の日)から月曜日(復活月曜日)までお休みのところが多く、家族や親せきが集まって過ごす人たちも多いようです。夏時間が始まり、夜も遅くまで過ごしやすくなってくるので、外で食事をする家庭も多くなってきます。バルコニーで楽しそうに話をする人たちや、カチャカチャと静かなカトラリーの音が聞こえてくると、夏を心待ちにする気持ちが伝染します。そんな時に、建物のはじっこに黒い鳥(アムゼル)が歌の練習を始めます。リズムも音程も、フレーズもまだまだ未熟。毎日練習を重ねて、5月末頃の夕方には完璧に美しい歌声を響かせます。
長い冬を越え、陽の光が豊かに降り注ぐ春を迎えて、人々の表情も柔らかくなってきます。

劇場ではこの季節らしい演目【パルジファル】(ワーグナー)が登場して、楽団員も気合が入ります。
【パルジファル】はワーグナー最晩年の作品で、私自身とても好きな演目でした。相変わらず長時間の演目なのですが、音楽が美しくて演奏するのが本当に楽しかったです。懐かしい。



 


2026/04/05
95「献立に春の味覚を1品添えて」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

4月になって空気が変わりましたね。

春の香りがして、冬とは違った濃い空気を感じます。


季節の変わり目は身体の巡りが少し滞るので、負担のかからないように過ごすことを目標にしています。私の場合は、食べ物が自分にとって重要なことに気がついてから、体調を整えるときは自分の味付けを信じることにしています。3月末に体調を崩してから食べ物を少し見直して、ほんの少しだけ食材に敏感になろうとしています。4月になったので、スーパーに並ぶ食材も少しずつ変化していますね。季節が完全に春に変わったことを感じます。旬のものを食べるのが一番ですが、春の季節は食べ物の勢いが強いので、少しずついただくようにするのも良いかもしれません。私がこの時期から好んで手に取るものが「新たまねぎ」。乾燥せずにそのまま出荷されるため、皮が薄くて水分が多いのが特徴。甘みがあるので水でさらさなくてもすぐに食べることができます。私のお気に入りは、①玉ねぎ1個分を半分に切ってから薄くスライスして②ごま油(大1)+お酢(大2)+醤油(ほんの少し)で味付けして完了のサラダ。それぞれの分量は加減してみてください。私はお酢多めが好み。5月中旬くらいまで、ほぼ毎日のように食卓に上がります。玉ねぎは滞っている気を巡らす役目もあるので、春の息吹に乗り切れず、内にこもっているようなモヤモヤを巡らせるにも役立つのではないかと思います。

スーパーで食材を眺めながら、季節の移り変わりを目で感じて、今夜の献立を考えてみませんか?

 


2026/04/04
94「無になる時間を大切にする」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

穏やかな陽気から花散らしの雨模様へ。

クルクル変わる春のお天気です。
土曜日は少しメンタルの落ちる日。
無理やり上げることをしないで、ニュートラルに落ち着けるようにすることは「メンタルオーガナイズ」で学びました。


「アタマを空っぽにすること」

ここ最近、大切にしていることです。

何も考えないことに集中するのは、案外大変なことです。

洗濯や掃除、返さなければならないメールや食事の献立、買い物やスケジュールについてなど。

私の場合はいろんな作業をしつつ、だんだん別のことに集中してしまって元の位置に戻れなくなることが日常茶飯事です。

「あれ?私は何をするつもりだったっけ?」と、ぐちゃぐちゃになった部屋を見渡してため息をつくこともあります。

そんなときは、流しっぱなしにしていたアレクサの音楽を止めて、スマホをミュートにして、パソコンを閉じれば、ほぼ音に関する制約がなくなります。

いつもと違うダイニングテーブルの椅子に座って天井を見上げる。

窓に打ち付けられる雨の粒をみながら、ゆっくり瞬きする。

首をゆっくり左右に傾けてストレッチしながら、深呼吸する。

目をつぶって自分の呼吸だけを意識する。

 

ほんの10分だけ。

その時間を、これからはより大切にしていきたいと思っています。

立ち止まることは動くことより大事なこと。

少しずつ変化の兆しを感じる4月。

この先のことをより深く考える日々です。

 

これからの時間を考えると、できることは限られてくるのかなぁ、と思いながら毎日の時間を刻んでいきたいです。





2026/04/03
93「ワードローブを春仕様に」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

金曜日はすでに週末気分です。
今日は穏やかな春らしい1日でした。
気温も上がって気持ちが緩みました。
この冬によく着ていたセーターを手洗いして、朝早くから日に当てたのでふんわりと仕上がりました。

私は大掛かりな衣替えをしませんが、季節ごとの小さな変化はクローゼットに起こしています。
靴下を全部出して、厚手の靴下から軽やかな素材へと並べ替えることや、セーターを全部出して重たいセーターを脇に寄せて、パリッとしたシャツを目に映るようにかけ替えたり。そうすると、去年愛用していたセーターの出番が減って、今年はインナーを新調して組み合わせていたニットがありました。少し動かすことで広がるさざめきのような気持ちの変化。その小さな変化を見逃さず、心と身体が心地良いワードローブを大切にしたいものです。
ワードローブを見ると、今までの自分を見直してこれからどんな自分になりたいのかな…ということがわかってくるような気がします。

年を重ねるということは「老い」を意識することになります。色々な不具合がでてきて、がっかりしたり、腹立たしかったりしますが、それも自分。いつまでも若い気分でいることは、ちょっと危険だったりします。これから先、どんなシニアになりたいのか…真剣に考えることも前向きに捉えたいですね。私の母は62歳で亡くなったので、私がその年になるまであと4年。あの頃の母は泳ぐことに夢中だったので、体型もスリムな小奇麗マダムでした。小柄だったのでキュートなイメージもあり自慢の母でした。最期の日々は子育てをほぼ卒業して、父との二人旅を楽しみつつエッセイ執筆に夢中な生活でした。
「老い」は確実にやってきます。その人それぞれのペースで。

携帯電話の写真フォルダを整理しながら、体形の変化をチェックしたり、顔のたるみを厳しくクローズアップしたり(どうすることもできないのですが…)自分に似合うもの、似合わせたいもの、お気に入りのものを探して気持ち良い日々になるように、ちょっとだけ努力してみようと思っています。



2026/04/02
92「決断の時に」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

大きな決断をしなければならないとき、何を元に考えたら良いのだろうか。

先日の午前中に庭の雑草取りをしながら考えたその時は、すでに『でも、決まっているんだよなぁ』という思いだった。どんなに考えても、草むしりをしながら考えることなんて、それまで、髪の毛をかきむしりながら出した答えが正解なんだ・・ということを自分で知っている。


私は考えて決断するのが早い時と遅い時がある。

実家を売却すると決めたのは、父が亡くなってすぐだった。

ある人は「賃貸にしたら?」とか「まだ早いのでは?」という意見を言ってくれたけれど、私の中にある答えが揺るがなかった。

相続手続きのために実際に動き出したのは9か月後だったけれど、決心は硬かった。

庭のリフォームを決めた時は、計画の投資にどれくらいかけるかに悩んで結局2年くらいかかったけれど、細かい決断は案外早い方で、施工会社の営業の方にも「もっと悩む方の方が多いです」とも言われた。


大きな決断というのは最後の一歩で、それが一番ハードルが高い。

エイっと乗り越えられるか、やめておこう、と逡巡する時間が私にとって「無心になる作業をする」ことかもしれない。

全部考え尽くした後に、スイとよぎる思いに全神経を傾ける。そのときに「よし」と思うか「やめよう」と思うか。その判断時間をあまり長引かせないようにすることを心がけている。


その感覚は、私が舞台でヴァイオリンを弾きだす瞬間に似ている。

「今だ」と思う「一瞬」。

それは感覚的に、もしくは動物的な勘で私の中に宿っているものだと思う。

だから弾き始めた時に「さぁ、もう引き返せない。ゴールへ向かおう」という闘志がみなぎってくる。

生きることも同じ。

命が続く限り、決断をしない日なんてないわけだから、その判断を正解にするべく必死になって生きなければならない。

怠惰な時間を過ごしていても、全力で怠惰を経験していれば良いわけで、それを誰も咎めることはできない。もちろん自分自身でさえも。


決断は小さくても大きくても同じ。

ハードルが少し高くなったり低くなったりするだけなんだな、と思うけれどなかなか思うようにいかないのが自分なのかもしれない。


巡る思いは春のお天気のように気まぐれだ。

 

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