塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
  1. ブログ 思い出いろいろ
 

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2025/03/11
70「3.11記憶」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

14年前の今日。
まだまだ子育てに忙しい時期で
それでもヴァイオリンを弾くことを
必死に続けていた頃でした。
その頃は月一回、聖路加国際病院のトイスラーホールで開かれる
ボランティア演奏者によるお昼のコンサートに参加していました。
演奏する機会が多くなかったので
このコンサートに参加させてもらえることは
とても貴重な時間でした。
月一回のおでかけは、
長女は学校の放課後キッズで遊べるし
次女は延長保育でお友だちや先生と遊べるから
私も少し羽を伸ばしてお茶を飲んだり
買い物を楽しんだりしていました。

あの日も自分の出番を終えて、
少し早くコンサートを抜け出しました。
いつも、自分の時間を少しでも満喫するために
銀座に寄って、娘の洋服を買ったり
本を買ったりするのですが
その日はなんとなく「早く帰らなきゃ」と焦る気持ちがあり
いつもより早い時間に帰路につきました。
電車の中からふと空を見ると
不安になるような見たことのない雲の色で
心がざわざわしたことを鮮明に覚えています。

帰宅して手を洗い
洗面所のある2階から階段を降りるときに
ガタガタと
尋常ではない揺れがはじまり
あわててダイニングテーブルの下に入ったところで
夫からの連絡が携帯にかかってきました。
「今切ったらもう繋がらなくなるから」と言われ
テレビをつけてニュースを見ながら
お互いの状況を伝えあいました。

その後、私は娘たちのことが気になるので
「これから娘たちを迎えに行ってくる」と
電話を切ったとたんに幼稚園から連絡が入りました。
「あぁ、よかった。お迎えに来られますか?」

その後
バタバタと準備をしていると
近所のママさんが
「大丈夫?」と言いながら
外を走りながらご近所さんの安否確認をしていました。

私はとにかく娘たちを迎えに行かなければ、と
小学校と幼稚園へ向かい
無事に合流して自宅へ帰りました。

あの日からの混乱は
それまで経験したことのないものでいっぱいでした。
さまざまな情報が錯綜して
どんな風に状況を咀嚼すればよいかもわからない。
不安しか感じられない時間でした。




あれから14年。

あの時のことを
忘れないことが
私にできることです。

音楽家として私にできること。
静かに
祈りとともに
音を紡いでいきたいと思っています。







2025/02/22
53「土曜日の思い出」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は土曜日の思い出のことをお話ししましょう。

私が小学校5年生の冬から卒業まで
栃木県大田原市に住んでいました。
台所の窓を開けると、那須連山が遠くに見える
穏やかな土地でした。
父の仕事の都合で、ドイツからビュッと・・・
今まで全くご縁の無かった土地での生活は
なかなか難しいものがありました。

この時一番困ったことがヴァイオリンのレッスン。
帰国してからすぐに以前の先生の所へあいさつに行くと
「東京まで通うのは遠いのでは?
仙台と東京とどちらが良いかしら?」と聞かれて
私の母は即座に「東京まで通います」と答えました。
「とにかく東京に通わないと忘れられてしまうわよ」とのこと。
たしかに、東京へのレッスンをあきらめてしまうと
先生の手から離れることになってしまう。
たとえ、父の仕事がまた東京に戻ったとしても
レッスンの先生から一度手を離れてしまったら
戻るのは大変かもしれない。
音楽高校を目指すのであれば、なおのこと・・・
その時の母の英断は、その後も我が家で語り継がれる武勇伝でしたが
当時の私にはぼんやりして理解していたかどうか。

と言いつつも、なにしろ東京は遠い・・・
当時、東北新幹線が開通していなかったので
「特急はつかり」に乗って上野へ行き
帰りは上野発の各駅停車で帰ってきた記憶があります。
(当時は東北本線が上野止まりだった)
往復5時間近くでしょうか。
20時13分上野発の列車を逃すと、その日のうちに家に帰れない・・・
もちろん、平日にレッスンに行く時間はないので
必然的に週末になります。
私のレッスンは毎週土曜日の夕方に設定されました。

当時の小学校は土曜日も半日授業がありました。
午前授業を終えて帰宅すると
母が「さ、早く食べて」とお昼ご飯を手早く済ませると
着替えて靴下を取り換えて
ヴァイオリンと楽譜カバンをもって家を出ると
父が車でスタンバイしています。
父が西那須野駅まで送ってくれて電車に乗り込み
乗り換えながら上野まで。
先生のお宅は目黒でした。
レッスンは16時か17時から。
きっかり1時間のレッスンを終えて、
時間のある時は目黒駅の喫茶店で
ケーキを食べさせてもらって
(母はいつもレモンスカッシュだった)
上野まで急ぎます。
夕食はキオスクで買った駅弁。
牛丼弁当が好きでした。
通勤電車のようなぎゅうぎゅうの列車内で
駅弁を食べると
ちょっと恥ずかしかったです。
食べるとウトウト眠くなってきて
23時頃に駅に到着すると、父が迎えてくれます。
ほとんど(疲れて)無言のまま帰宅して
布団に潜り込む・・・

そんな生活が1年続いたところで
父を置いて母と二人で横浜へ帰ってきました。
「音楽高校に行くなら、ピアノとソルフェージュを始めなきゃ」
という先生の鶴の一声で母が決断し
地元の中学で着るはずだった制服を
翌日にはキャンセルしていました。


あの栃木から東京へのレッスン通いは
私の中でも今なお、印象的に残っています。
母と二人で列車に乗って出かけるウキウキした感覚。
1時間のレッスンで詰め込まれた刺激と、
他の生徒のレベルの高さに打ちのめされる日々。
ご褒美のケーキの味。
帰りの列車で話しかけられる東北の言葉。
大変だったはずなのに
楽しかったな、という記憶にすり替わっています。

あの頃、小学生も夕方5時くらいまでクラブ活動があったり
(バレーボール部にスカウトされて入部したり
合唱部でNHK合唱コンクールの群大会に出場したことがありましたね。
そのほか、ブラスバンド部でコントラバスをあてがわれたけれど
さすがに弾けなくてアコーディオンを担当していた時もあったなぁ。
夏休みに水泳部に入ることになって大会も決まっていたのに
ヴァイオリンの講習会が重なってあきらめたり・・・)
アレコレ引っ張り出されて、色々なことをしていました。
練習時間がないのに、夕方遅くまで活動をして
帰宅してからカップラーメンをおやつに
ヴァイオリンの練習をコソコソとこなして
夕食の後はちょこっと宿題をこなして寝る。
全然練習時間は足りてなかった・・・

でも、
ヴァイオリンだけを弾いていたわけではないからこそ
私の軸になっている芯の部分は
彩り豊かだと自信を持って言えます。

そしてあの時
いつも父に従順で
それほど意見を押し出すことのなかった母の
大きな決断の連続に
母の底力をひしひしと感じたものでした。





2025/01/26
26「日曜日と鐘の音」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は日曜日。
ドイツに住んでいたころは、朝の時間に教会の鐘が鳴りだすと日曜日を感じました。
礼拝の時間を知らせる鐘。
礼拝中に鐘を鳴らすタイミングがある場合にはコーンとひとつだけ。
礼拝が終わると高らかに鳴り響く何重もの鐘の音。
礼拝時間はそれぞれの教会によって少しずつ違うので
日曜日の午前中は町中のどこかで教会の鐘が鳴っています。
(礼拝というのはプロテスタント、ミサというのはカトリックですが、内容に大きな違いはなく
聖書朗読、賛美歌、祈り、牧師または神父のお話といった構成になります)

遅くまで寝ていたいのに、ガランゴロンとあちこちの教会の鳴る鐘に

ちょっと不満を覚えた時もありました。
今もそうなのかしら?
近頃はキリスト教徒が減少して、牧師や神父の担い手が減り
献金で成り立っている教会運営がうまくいかずに閉鎖に追い込まれる教会もあるらしいです。

私は小学生の頃に父の仕事の関係でドイツに住んでいました。
その頃、自分の部屋から教会が見えました。
窓から外を見れば遮るものもなく正面に見えます。
教会の尖塔が丸くて、黒っぽいレンガ造りで、飾り気の少ない外観。
夜になると、一室だけにポツンと明かりが灯り
私が寝る時間になっても消灯することはありませんでした。
きっと、牧師が一人で、または何人かで勉強をしていたのでしょうね。
何となく心細くなった時にその明かりを見ると、ほっとした気分になりました。
結局、その教会に足を踏み入れたことはなかったのですが
今でもその教会の様子の記憶は鮮明に残っています。
それと同時にどんな鐘の音だったのかも。

カーン カーン
カラン カラン
カララン カララン
カララン(ゴロン)カララン(ゴロン)・・・

だんだん音が増えていって音が重なりあい
異なるリズムが増えて大音響がひとしきりあった後
さぁーっと音が引いて
コーンと一つ音が響いて静寂になる。

日曜日の朝はその音をずっと聞いていたものです。
音の記憶というのは、私にとって鮮明で
未だに鐘の音には特別な思いがこみ上げます。
そして、音楽家となった今は
音楽の中には常に鐘の音が隠れていて
その音を探し当てると
その曲への理解が深まっていくような気がします。

ドイツで一人暮らしをしていたころも、
近くに教会がありました。
自分の生活リズムを刻んでもらっているようで安心感がありました。
日曜日の午前中はぼんやりと窓を開けて鐘の音を聞いていたものです。

私の娘たちは時々、教会と鐘の音の入った動画を送ってくれます。
自分たちの住む町だったり旅行先の町だったり、様々な場所で。
あぁ、なつかしい。

私がどんなに心を揺さぶられて
懐かしい思いに駆られて
あたたかい気持ちになるのか・・・
彼女たちはよく知っているのです。

日曜日に鐘の音を聞かなくなってから
どのくらいになるでしょうか。
でも、記憶の中にある鐘の音は色あせず
今も耳の中で鳴っています。



2025/01/20
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私が幼い頃、発表会の記録はカセットが主流でした。
父が録音担当で、発表会の度に新品のカセットテープを購入して準備していました。
当時、私のヴァイオリンの先生と姉のピアノの先生が合同で発表会をしていたため
プログラムを見ながら、父がとても緊張していたことを思い出しました。

聞き返すのはもっぱら父のみ。
単純に演奏を楽しむだけなので、コメントはありません。
私も姉も、1回聞き返して自分の演奏について不満を漏らして終了…
次の新しい曲に興味が移ってしまって
まともに聞き返すことはほとんどありませんでした。

家族で駐在生活をしていたドイツから帰国した小学校5年生の冬。
古巣の厳しいヴァイオリンの先生にの下に、再び通うこととなり
帰国後2か月で曲を仕上げなくてはならず…
先生の叱咤激励に四苦八苦しながら迎えた発表会で
無事に弾き終えた後「ほぉ~、よくやった~」という父の安堵のため息が
しっかり録音に残っていたことが一番の懐かしい思い出です。

父は私たちの演奏を聴くのをいつも楽しみにしていて
録音したテープをいつまでも、ずっと聞き返していました。
私としては、間違えた個所を思い出したり、ドキドキしたことを思い出したりするので
繰り返し聞かれるのはとても苦手でしたが、父はどこを吹く風。嬉しそうに聴いていました。
カセットデッキもほとんど普及されなくなった後も、時々取り出して聞いていたらしく
たまに「この間、懐かしい曲を聞いたんだよ」と言われて「え…いつの?!」と絶句することもしばしば。
でも、カセットテープの劣化とともに、その回数は減っていたようです。

父の晩年、ふと「このテープをCDに焼きなおしたいなぁ」とつぶやいたことがあり
「それはなかなか難儀だわ。でも、いつかできるといいね」と何気なく答えましたが
忙しさに紛れてその願いは叶わず。
終の棲家となった家の二階に、大量のカセットテープが入ったケースが鎮座して
何度か聞こうと努力した形跡がありました。
その景色に涙しながらも
大量のテープを取っておく場所もなく、
家とともに私の幼いころの演奏は彼方へと消えました。

残しておいた方が良かったかしら?

私自身は、写真も録音も録画も執着がないので
無くなってしまってもがっかりするようなことはありません。
ただ、父がもう少し
私たち姉妹の演奏の成長を簡単に聴くことができたら幸せだったかなぁ、とも思います。

冬空を見上げながら
小学校5年生の発表会が1月末だったことを思い出していました。




2025/01/12
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日はブログアップが遅くなってしまいました…
今年の初めから地道に書き続けていて
連続記録の更新を止めてしまうのが惜しいので
今日は徒然に書き綴っていきます。

このブログは音楽のことに特化して書こうと決めて
色々なことを思い出したり
記録を調べたり
言葉を選んだりして
楽しみながら書こうと思っています。

私はヴァイオリンとともに50年以上💦
一緒に過ごしています。
そう考えると長い…

その中でも
今までちゃんと弾き続けてこられたこと
応援してくれた人たちに
心からの感謝の気持ちを届けたいです。

ピアノを弾きたいよ~といった私の言葉に耳を傾けてくれた両親。
ピアノではなくヴァイオリンを勧めてくれた先生。
練習曲をイヤイヤながらピアノで弾き続けてくれた姉。
私のつたないヴァイオリン演奏をじっと聞いてくれた悪友たち。
音楽高校・大学で苦楽を共にした友人。
留学時代に長電話に付き添ってくれた友。
オーケストラで一緒にオペラを奏でた仲間たち。
仕事でごいっしょした音楽家たち。
いつも身近で助けてくれた家族。
私とヴァイオリンのことを一番大切に思っていた夫。

私が弾き続けていけるのはあとどれくらいだろうか。
80歳を過ぎても指導している私の師匠は
レッスンで生徒に弾いて見せることは激減しました。
楽器を持って移動するのも、少々難儀のように見えます。

私が80歳になったら、どうしているんだろうか?

その姿を思い浮かべられるようになったら
もっと面白い記事が書けそうです。

「想像できないことは実現しない」

連休の中日、自分の老いた姿を想像するのは
成人の日のせいもあるのでしょうか?

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