塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

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2026/03/19
78「突然の喪失」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

「いってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

私はその会話を最後に、二度と生きている夫に会うことができませんでした。

一番恐れていた別れ。

一番記憶に残したくなかった出来事。

今から3年前に、父の余命宣告を受け止めながら過ごしていた日々での出来事でした。


「余命」という言葉を聞くのも重くて苦しいけれど「突然」という別れも苦しいものです。

小説やニュースの出来事のようなことが、現実に自分に起こっていることに混乱し、不安にさいなまれ、絶望し、慟哭すると同時に、とんでもない数の連絡と手続きに決断を迫れられて、ごうごうと流れる激流に流されていく感覚がありました。ただ、その流れに流されてはいけない、自分自身である程度コントロールしなければ、という思いが沸き上がってきたことを覚えています。

そしてそのことを可能にするために、外部に対して氷のように感情を密閉することにしました。

私の場合は、そうすることで様々な手続きと日常生活を進めることができましたし、大量の決定事項を忍耐強く勧めることができました。


実際に手や身体を使って進める手続きは簡単です。

目に見えて進捗がわかるからです。

しかし、心は自分でもわからないものです。

自分自身でよく観察し、自分に問いかけ、自分の許容範囲を正確に判定しなければ、自身が病んでしまうのは簡単なことです。


今、しなくてはならないこと。

今、決断しなければならないこと。

少し待っても良いこと。

時間に任せればよいこと。

 

混乱した状況の中で、少しでも冷静に要られたことは、私がライフオーガナイズを学んでいたからだと思います。


私の母は、自分の両親亡き後の相続手続きで困難な状況が2年ほど続きました。

今まで世間知らずだったことが禍になり、精神的な負担が大きかった様子でした。

それでもなんとかすべてにきちんとカタをつけて「無事に終えられたわ」と手紙で知らされた時は私もホッとしました。

私自身はドイツ在住時だったので何も手助けができませんでした。

束の間、落ち着いた時期を過ごしたと思ったら、肺がん末期の宣告。

ストレスが、がん発症の一番のリスクということは本当のことです。


「喪の作業」は思っているよりも負荷がかかります。

外からは見ることのできない、深い悲しみと回復作業が行われていることに、他人は気づくことができないのです。

私は自分がこういった経験をするまでに、どれだけ他の人のことを傷つけたんだろうか・・・と苦しく思います。

その人に、ちゃんと「共感すること」ができなかったですし、「思いを寄せる」ことができなかったように思います。


「喪の作業」は本当に深くて重くて苦しいものです。

私は自分の辛さや自分の経験を、他の人と比較をしないと決めています。

その人なりの「喪の作業」があり、その人自身の「回復段階」があること、そしてその期間はその人によって何年もかかるということ。


あれから3回目の4月がやってきます。

私の「喪の作業」はまだまだ続きます。

多分一生。

それが私の生きる道だと思っています。

 


2026/03/18
77「お彼岸に亡き人を語る」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私は仏教徒ではありませんが、日本の生活の中に自然に取り込まれている風習や季節を感じることには敏感でいたい、といつも思っています。

昨日から彼岸入りです。

お中日は春分の日(20日)、彼岸明けは23日です。

お彼岸は年に春秋の二回あり、あの世とこの世が近くなると言われています。

そのため、お墓参りをしたり仏壇にお花を飾って亡き人の話をたくさんする時期とされています。

親戚や友人が集まって昔話に花を咲かせたら、「思い出してくれた!」と思って亡き人は喜ぶでしょうね。

私は一足先に、友人に付き合ってもらってお墓参りを済ませました。

我が家には、家族ではないけれど思い出す人が何人かいて、ふとエピソードを語るときがあります。

我が家の音楽を心から応援してくださり、私のリサイタルには小さかった娘たちの面倒を見てくださったりして素敵なジェントルマンでした。

ただ、仕事で一緒だった夫から漏れ聞くユニークな話も多くて・・・

心に残っているエピソードは、いつも集まる例会が木曜日だったのに、その月だけ水曜日に変わっていたのを忘れてお店の方に「あ、昨日終わりましたよ」と言われたことや、ダブルブッキングが当たり前だったのに、トリプルブッキングが発覚して周りが慌てたのに、本人からもう一つアポがあったことを知らされてクワトロブッキング(聞いたことない・・)だったり、愛犬が可愛くて「一緒のお墓に入る!」と決めて早々にペットと一緒に入れるお墓を購入してしまうなど・・・クスクス笑ってしまう小さなお話を聞くのがとても楽しかったです。


そこにいなくても人を笑顔にさせることのできる人。

そんな人に憧れます。


先日スーパーで見かけた「ぼた餅」(春はぼた餅、秋はおはぎと言います)は大きすぎて食べきれる自信がなかったので買いませんでした。

その代わり、桜色の和菓子を買って帰りました。

このお彼岸中に、ゆっくり緑茶を淹れて味わいたいと思います。

春のお菓子ってちょっとワクワクしますね。



2026/03/17
76「人の命をかんがえる・余命」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今の時代、余命の話やお墓問題、相続に関しての話題が少しだけオープンに語られるようになってきた気がします。

老後の資金について、空き家問題、少子化・超高齢化社会の重さなどが、私のような一般的な生活者にも気づいてしまえるような状態になってきたからかもしれません。または、自分がその問題を通り抜けてきて、自分事としてとらえられるようになったからかもしれません。


【余命】という言葉を聞いたのは母を亡くすときに初めて聴きました。

「余命半年です」という医師の言葉を父が私に伝えました。

そのとき私は全く想像がつかず「1年以内なんだ」というボンヤリとした気持ちでした。

4か月後、母が自分で病院に連れてってくれといって入院した時も、私は「長い入院生活になるかも」とのんきに入院必需品を買いに行った覚えがあります。入院後に父と一緒に医師に呼ばれて聞いた言葉は「今日か明日・・・」と最後まではっきりと聞き取れませんでした。結局私の買ったものは何一つ使われず、入院の翌日に母は逝きました。母と仲の良かった叔母が、病院の売店で買ってくれた紫の小花模様のパジャマが似合っていました。喪主が父だったため、私は夫とともにアシストする役目でした。

父の気持ちまで心が追いつかなかったことを覚えています。


父の場合は「あと1~2週間くらいです。1か月は持ちません」と言われました。

それが長いのか短いのか・・・その時の私には全く想像がつきませんでした。

ケアホームに入居していたので、すぐに「看取り期の介護契約」に切り替わっていきました。

とにかく私は父が安らかに過ごせるように、今生に悔いなく安心できるように、ヴァイオリンをもって毎日のように父を訪ねました。

結局父は、3週間半で逝きました。


そのとき私は「お医者さんの見立てというのは、すごく正確なんだなぁ。プロなんだなぁ。」と尊敬の念をもって思いました。

私たちには見えないその人の体の状況を把握して、正確に判断して家族に伝えることができるのは、知識と多くの経験なのでしょう。

どちらの日々も、とても重くて辛い日々でした。

いつ連絡があるのかわからない状態は、常に精神が臨戦態勢です。

そして、その先のことも準備しておかなければならないことも辛さに拍車をかけます。

葬儀に至るまでの手順やその後の膨大な手続き、後片付け、様々なケア。

私はどんなに辛くても予備知識として、頭に入れておくことは大切だと思います。

決められた順序があるならば、そのまま機械的に作業を進めること。

深く思いを巡らすことをせず、他のケアをすると決める。

自分は大丈夫か。

他の家族は大丈夫か。

連絡漏れはないか。

やるべきことはしっかりできているか。

傍から見れば、なんと冷たい娘なんだろうと思われることもあったかもしれません。

母のときには、祖父の葬儀経験が役に立ちました。

父のときは母の葬儀経験がそのまま活かされました。

25年の月日が経っていましたが、亡き人を収める手順に大きな変わりはありませんでした。

当事者として、決めなければならないことや、手続き関係をこなすのは大変なことですが、それも身内だから最後はしっかりと見送りたい、という一念でした。



今は年度末。

一つの区切りを感じることも多い季節です。

私自身は人生の先を追いかけて急いでいるように思えるときもありますが、生きるということはそういうことなのかもしれない・・・と静かに思う日々です。


2026/03/11
70「いつまでも、何度でも思い出す」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

15年。

その年月に思いを馳せます。

あの日、朝は晴れていました。

毎月参加させていただいていたボランティア演奏を終えて、一足先に会場を出て、いつものようにホッと一息つこうと思いながらも帰宅を急ぎました。

その日に限って。

月に一度のボランティア演奏は、私にとって息抜きの時間でもありました。

当時小学校4年と幼稚園年長の娘たちから、少しだけ離れられる時間は貴重でした。

演奏するために早く家を出てモーニングを食べて、演奏を終えたら一人で銀座にふらりと立ち寄ってお茶をして帰ることが楽しみでした。

その日は午後から雲が多くなってきたので、家に帰ることにしました。

なぜかちょっと焦るような気持で。

電車に乗りながら、最寄り駅について一目散に自宅へ向かいました。

「娘たちが帰るまでに掃除機をかけてしまおう」と思いながら家について手を洗っていた時に揺れ始めました。

ただ事ではない揺れを感じて・・・

そのあとは混乱状態でした。


いつまでも、何度でも思い出す。

思い出すと気持ちの揺れが大きくなってざわめくけれど、私自身には必要なことだったりします。

(無理して思い出す必要はないですよ)
思い出して怒っても
思い出して泣いても
思い出して愚痴っても

どんなに波立たせることがあっても、収めることができれば良いと思っています。

自分自身をしっかり、自分自身でなだめることができれば・・・

 

あの年に生まれた子どもたちが、今、中学を卒業する年齢になっています。

近隣中学校の卒業式に来賓として参列しながら、様々な思いに駆られました。

中学生の若い声で歌われる合唱を聞きながら静かに流れる時間。
若者たちに幸多かれと願う1日となりました。





2026/03/07
66「また一緒に霊園ツアーを」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

幼馴染の友人と一緒に、お互いの大事な人が眠る霊園をめぐるツアーをしました。


実家が近くて3歳くらいからずっと一緒に、外を飛び回って遊ぶ友達でした。

私の幼少期は、彼女を抜きに語ることができません。

高校・大学はお互い全く違う道へ進み、一足早く社会人としてしっかりと働く友人に羨望のまなざしを送りながら、私もドイツへ留学して頑張る姿を見せました。

その後はつかず離れず。

結婚して家庭をしっかり守りながら、友人が転勤族のためになかなか会えない日々でしたが、ふと気がつけば、車で20分くらいのところに住むようになっていました。

彼女のご両親が、実家の近くの霊園に眠っていると聞いて

「あら、その道を通っていけば、私の家族の霊園にも行くことができるよ。霊園ツアーしよう!」

と誘うと

「いいわね!」

との返事だったので、昨年の2月に初めて一緒に行きました。


彼女のご両親には、本当にかわいがってもらいました。

大人になってからも、あいさつに伺うと

「あら~かおちゃん~元気にしてるの~?」

とニコニコと話してくださった笑顔は今も私の大切な記憶です。


彼女のご両親のお墓は樹木葬。

滝に囲まれた大仏さまの横に、名前を刻んだプレートが設置されています。

名前を確認しながら、手が届けばその銘板に手を触れながら偲ぶことができます。

きれいに手入れされた園内は風通りも良く、友人はふらりと立ち寄って気持ちを落ち着ける時間を取っているそうです。

「家が好きだった母が、ここだったら近くて大丈夫かなって思ったの。迷子にならないから。私もここで良かったなって思っているわ」

穏やかに話す友人は本当に優しい人です。


私の大事な人たちが眠る霊園は我が家から少し遠いのですが、所属する教会墓所なのでいずれ私もそこに一緒に入るつもりでいます。

娘たちには伝達済みです。

今後どのように変化していくのかわからないので(教会の体制も変わるかもしれない)注視していくことになります。

遠くに海がちらりと見え、静かな山を見上げる静かなところです。

娘たちが一時帰国した時は必ず立ち寄りますし、私一人でもふらりと行くこともあります。

この3年くらいは元旦にお参りしています。同じような思いをもって訪れる人も多い様子なので、寂しい思いが少し薄れます。

 

今回は友人と二人で、思い出話をしながら、辛いことをポロポロと話す時間がとても貴重でした。

普段は忙しさに紛れてしまうこと、言っても仕方のないこと、どうしようもないこと・・・

そんなことも、友人だったら話すことができます。

お互い厳しい時期を通りながら生きていることは、経験を積んだこの年齢だからこそ共有できるのではないかと思います。

笑ったり、泣いたり。私たちだけにしかわからない、思い出話の数々が本当に愛しい時間でした。


余談:ちょっと老眼気味の友人が

「連絡もらった文章の【霊園ツアー】が【雪国ツアー】にみえちゃって、何言ってんのかしら~って思っちゃったのよ」

書いている今も、判別しにくいな…と思ってしまいました・・・


私たちもいつまで同じようにツアーができるかわからないので、今この時間を大切にしようと決めました。