塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

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2026/05/11
131「母の日に思う」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

昨日は「母の日」でしたね。

流れてくるSNSにきれいなお花が投稿されているのを見てたのしんでいました。

「母のお墓参りに行きましたが、敢えて赤いカーネーションを飾りました」という言葉にハッとしました。赤いカーネーションは健在の母へ。白いカーネーションは亡き母へ。その区別は悲しい気持ちになります。私自身は赤でも白でもなく、ピンクくらいが一番かわいいのではないかと思っています。

 

そもそもの始まりは、白いカーネーションからだったそうです。20世紀初めのアメリカで、志半ばで亡くなった母を思い、追悼会で娘が参列者に白いカーネーションを贈ったことが始まりとか。その後、5月の第2日曜日を「母のための祝日」を設ける活動をしたということです。国によって日にちが違うこともあるので、必ずしも5月第2日曜ではありませんが、「母のことを思う日」があることは良いなぁ・・・と思います。

私の母は62歳で亡くなりました。私が結婚して半年くらいで肺がん末期・余命1年以内と宣告されたので、そのあたりの生活は無我夢中でした。結婚してからアタフタする生活のことも、妊娠出産・子育ても母に相談することができなくて苦労しました。自分自身がどういう風に育てられたのか、どんな状況だったのかをもっともっと知りたかったです。でも、母がいなくても家族が助けてくれました。何もできなかった父が娘たちのオムツを替えていましたし、姉も細やかに娘たちの応援をしてくれます。家族でなんでも協力してきたので義両親も心置きなく娘たちをかわいがることができたと思っています。

母が亡くなって28年が経とうとしています。あちらの世界でかなりの年数を過ごしているので、私の中ではとても落ち着いている雰囲気が感じられます。何が起こっても支えてもらっているような安心感があります。


「ママのお母さんに会ってみたかったなぁ」と娘たちが言います。私も会わせたかったです。

母の日。

小さい子どもから、年を重ねた男性も女性も、ほんの少し「母」という存在に想いを馳せる日になったことでしょうね。



母はエッセイを書くことが好きでした。
エッセイ教室の先生に背中を押されて自費出版しました。
読み返すと必ず泣くので、読むときは体力のある時だけと決めています。



2026/05/10
130「春を告げる食材・白アスパラガス」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

ヨーロッパに住む娘たちから相次いで「今日は白アスパラガスを買ったよ」というメッセージが届きました。

アスパラガスは春の訪れを告げる野菜と言われ、ヨーロッパ(特にフランス・ドイツ・イタリア)は3月から露店やスーパーに並び始めて、5月上旬が一番おいしい時期です。土をかぶせて日光を遮断して育てるため、やわらかくてほんのり甘く、ボイルするとそのうまみが口の中に広がっていきます。長い冬を越えて春を感じる、ヨーロッパの人にとっては嬉しい春の到来を感じるがで食べ物なんですね。

オランデーズソース(バターと卵黄とレモン)が有名ですが、我が家の食べ方はボイルして醤油と鰹節をまぶして熱々を食べます。(マヨネーズをプラスすることもあります。加えて七味をパラリとかけると味に変化があります。)

簡単にレンチンすることもありますが、少し手間をかけてボイルする方が灰汁の強さが和らぐような気がします。

日本でも見かけることが多くなりました。ヨーロッパで見るよりもだいぶ小さくて細いのですが・・・

「懐かしいなぁ」と言って、よく夫が買ってきました。丁寧に下ごしらえをして、得意そうに醤油と鰹節をかけて娘たちに食べさせていたことを思い出します。

味覚の記憶は忘れられないものなんですね。

ちゃんと娘たちがそのことを覚えていて、季節が巡ってくると食材を手にして食べている・・・
何となく、心がキュッとしました。

 


2026/04/15
105「思い出あれこれ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

熊本地震から10年が経ったというニュースを見た。

私の住んでいる地方から遠かったが、やはり東日本大震災の記憶が新しいからこそ忘れられない出来事だった。思い出したことがある。あの熊本地震の少し後に夫は熊本へ日帰りで行ってきた。航空会社のキャンペーンで、4都市の中から日帰りができるフライトチケットにエントリーしたのだ。どこへ行くか直前までわからない。海外出張の多かった夫が、貯まったマイルを消化するために選んだキャンペーンの一つだった。期限の迫ったマイルを流してしまうのに惜しいくらいの量だったのだろう。詳細は覚えていない。「一緒に行こうよ」と言われたけれど、二人分のマイルには手が届かず、娘二人のことを考えると丸一日の行程は負担が大きかった。いつの間にか決まった場所は熊本。「震災のあとだけど大丈夫なのかな?」と心配しながらも、「始めていくからちょっと楽しみ」と言って出かけて行った。夜遅く帰宅すると「熊本城の石垣が崩れ落ちてそのままだった。修理したくても危なくて近づけないらしい。地震の爪痕が生々しかったよ。」とおみやげを開けながら話してくれた。お天気が悪くて雨が降っていたので、寂しげな印象だったとも。「こんなことがなければ、熊本なんて行くことはなかったなぁ。このキャンペーンも座席に余裕があるところが選ばれるんだろうけれど、おみやげを買うことで経済活動が少しでも回ればいいと思ってね」という話に耳を傾けながら「そうか。大きな災害があると経済活動が止まってしまうのか」ということにも気づかせてくれた。今なお、震災で家族を失った人たちがたくさんいることに想いを寄せたい。その気持ちはわからないわけではないから。


そういえば思い出したことがある。それまで一度だけ、豊富なマイルを使って夫婦二人で大阪へ日帰り旅行をしたことがある。ふぐ料理とひれ酒を飲むためという、なんとも風変わりな楽しい企画だった。私が「ひれ酒を飲んでみたい」というひとことから始まった計画だった。午前中のフライトで伊丹空港へ。食事と船場のドレス屋さんをぐるりと見てまた羽田へのフライトで戻ってくる企画だった。大阪に単身赴任の経験がある夫だったので、街の地図は頭の中に入っているので安心して任せた。慌ただしくて目まぐるしかったけれど、今となっては良い思い出だ。幼い娘たちを義両親に預けてのことだったので呆れられたけれど…日帰りだったのでお咎めはなかった。今だったらもっとリサーチして、3倍くらい楽しくできたかもしれないのになぁ・・・と思ってしまう。

一緒に思い出を語れる人がいないのは辛い。




2026/04/09
99「命を燃やして生きること」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は私にとって夫の本当の命日。

3年前の4月、私は夫と実父を12日の差で亡くしました。

片方は予告もなくいきなりのナイフのような事実が私たち家族を貫き、呆然としつつ、正気を保つことに集中するしかありませんでした。もう一つは、余命宣告を受けつつ、最後までの日々をどう燃やし続けるのか模索し、燃やし尽くした最期となりました。この二つの出来事は、私に相容れないものを同時に飲み込むという、狂気に満ちた経験を心に刻み付けることになりました。心から滴り落ちる血は、以前ほど大量ではないものの、未だにダラダラと流れ続けています。3年前の私は、何事もなかったように振舞い、普通に立っていることを自分に課すために目の前の事務的手続きを無我夢中でこなしました。夫や父のすべての名義を自分に変更することや、細かくて気が遠くなるほど多くて細かいアポイントメントと連絡作業。膨大な電話・メール・対面対応など。今考えても気が狂いそうになります。夫の葬儀の翌日に地域の理事会へ、平然と出席していた自分はおかしいとしか言いようがないけれど、そうすることしかできなかったです。そういった作業が積み重なってどれだけ神経を疲弊させ、果てしない底へ沈んでいくことになっていたのか。意識にありません。あのころの私は「なんだかヒマラヤ級の山々を踏破しなきゃならないみたいだ」と姉に呟いていたことを覚えています。


***



昨夜、映画「ファーストキス 1st KISS」をみた。嗚咽が止まらなかった。

朝、アパートの玄関を出ていく後ろ姿を最後に事故死してしまう夫。遺された家族を苦しませている夫に対しての苛立ちを持て余している妻は、なぜか夫と初めて会った日へ何度もタイムスリップができるようになってしまう。過去に戻って夫の命を救うために些細な出来事をすり替えてみるけれど、最後の死はどうしても防ぎようがない。思い余って妻は、死を回避させるために自分ではなく他の人と結婚する選択肢を夫に選ぼうとさせるけれど、それが二人の本意ではないことに気がつく。結局夫は、自分が15年後に死ぬということを抱えながら妻と結婚してその最期までを二人で生きることを選ぶ。二人はその結末を選んだ。そしてやはり死はやってきた。


人生の中で本当に大切な人に出会えるって、なんて幸福なことだろうか。失うとわかっていてもその大切な人との時間が、15年であっても、25年であっても、50年であっても、たとえ1日であっても、何か拠りどころにできる出来事があれば人は生きていくことができるらしい。その拠りどころとは、些細なことかもしれないし、大きな出来事かもしれないし、困難なことかもしれない。私と夫は全く違う気質もあり、混乱して衝突することも少なくなかった。お互いに疲弊するほど神経をすり減らしたこともあったけれど、お互いにお互いから逃げることはなかった。最後の砦はいつでも二人だったから。

そして私は夫と一緒に家族を築いた。この家族は本当に唯一の大切な存在へと成長した。誰にも壊すことのできないほどの強い家族になったと誇りをもって言える。困難もたくさんあったし、大変なこともたくさん経験した。でも、その家族は夫としか創造することができないことであって、誰でも良いわけではなく、誰とでもできることではなく、私と夫でしかできなかった。

 

生きるということは、喪失と再生の繰り返しだ。

喪失は予測不能で突然の顔をしてやってくるけれど、再生は遅々としていてのらりくらりして進めることをしない。

それでもあきらめずに生きていくことが、失った人との時間を抱きしめることになるのだと思う。

そうやって、夫がいつまでも自分の中に生き続けることができるように。

それが私の命を燃やすことなんだ。それでいいんだ・・・と思えるようになった3年目。

 

 

私の母も、父も、夫もいっしょにここで私を待っている

 

 


2026/04/08
98「花まつり」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は「花まつり」(灌仏会・かんぶつえ)


仏教の寺院では、お釈迦様の誕生を祝う代表的な行事と言われています。

花で飾られた「花御堂」の「誕生仏」(右手で天、左手で地を指すお釈迦様の像)に甘茶をかけて日々の幸せや無病息災、子どもの健康や成長を願う風習があるとのこと。甘茶をかけるのは、お釈迦様が生まれた時に天から甘い雨(甘露)が降り注いだといういわれに基づいているそうです。春の光があふれるこの時期に、子どもを連れてお参りする家族も多いとのことで、華やかで賑やかな行事ですね。


私がこの行事を知ったのは、夫と知り合ってからです。

夫の住んでいた近所に弘明寺観音(京急線・弘明寺(ぐみょうじ)駅)があり、たまたま花まつりちかくの週末に「花御堂」を見かけたので教えてもらいました。

「昔からこんな感じだったなぁ。甘茶のふるまいがあって、もらった記憶があるよ。結構子どもがたくさん来ていてにぎやかだったなぁ」と言いながら二人でお参りしました。その時は娘たちもまだ生まれていなくて、そのうち家族で来ることがあるのかなぁ、と満開の桜を見上げながらボンヤリと想像したことを覚えています。今年も変わらず、先日の週末と本日、花まつりの行事が開催された様子です。毎年変わらずに続く行事は、遠くにさまよう心がふと戻ってこれるような、そんな安心感がありますね。


今日は昨日の大荒れの天気から一転して、明るい日差しの一日。

新しいランドセルの小学一年生、新しい制服の中学生が、ちょっと緊張気味に歩いている姿を見ることができました。

季節もすっかり春本番となりました。