「私は母のために花を絶やしたくなくて
いつもなにか、生花を飾っていました。自分のためでもありました。」
大喜びの実父の様子が
おかしいやら、気の毒やら・・・
”その時計に見合う自分になる”
そして
”ここぞ、という勝負の時に気合を入れる”という意味で
25年前のクリスマスイブは、微弱陣痛でおろおろしていた。
初めての出産で、何が陣痛なのか、何が痛くて何が痛くないのか。
まったくわからない状況だった。
当時住んでいた自宅と病院が少し離れていたこともあり、
更に子宮筋腫を抱えたままの出産だったので、
医師も少し緊張気味に早めに入院するように言われ、
深夜の病院へと向かう。
到着するとすでに待機室には何人かの妊婦さん。
私はなかなか本格的な陣痛がこないので、待機室から出されて
個室に移って夫とおしゃべりしながら過ごす。
クリスマスイブの病院食は鶏モモ肉の骨付き。
赤いリボンが結んであって可愛らしいけれど、食べることができず・・・。
夫に代わりに食べてもらった。
日付が変わっても陣痛が弱くて、
とうとう赤ちゃんも苦しくなってきた様子。
25日朝になると医師から
「陣痛促進剤を投与しますね」
と言われて点滴に薬剤が入ると、
なんと効き目の早いことか!
今までの痛みは何だったのか~と言うほどのもの。
それから4時間半ほど七転八倒してようやく生まれた長女は、
生まれた時からキョロキョロと周囲をみまわしていたとか。
本当に小さくて可愛らしくて、
生まれたてホヤホヤの彼女を
ほんのちょっと抱っこさせてもらうと
すぐに計測・検査のために別室へ連れていかれて、
更に夫と対面して抱っこしてもらい、
そのまま新生児室へ。
30時間ほどの出産経験に、夫も私も疲労困憊だった。
その日から始まった子育ての毎日。
実母のいない子育ては心細くて、
不安で、
わからないことだらけ。
夫の協力はもちろん、心強かったけれど、
子育て経験者の助けが本当に欲しかった。
だから、長女の赤ちゃん時代は
たくさん間違いもしたし、
とにかく大変だった。
多分、私が不安だったから長女も不安だったのだろう。
食が細くて
全然寝てくれなくて
夜も1時間から2時間おきに起きて授乳。
夫も神経質に長女に向き合うから
だんだん追い詰められていくような感覚も無きにしも非ず。
言葉に出すことはなかったけれど
とてもつらかった。
それでも私は、これが永遠に続くわけではないとわかっていた。
今だけなんだ、とどこかで冷めた目て見ていた。
その通り、何年かすると長女はちゃんと成長していった。
25年もたってしまうと、
自分で逞しく生きている長女の姿に
「あぁ、よかった」
と思うことができるし、
ちょっとくらい私が間違えても
本人が軌道修正してくれるものなんだ、
と思うようになった。
「この足は俺の子だな~」
と目を細めて
愛おしそうに長女を眺めていた夫はもういない。
あなたの娘は、
あなたが思っていたよりも
強くて芯が太くて、
そしてあなたのように優しい。
だからあなたは胸を張っていい。
あなたは素晴らしい遺伝子を次の世代に残したんだよ、と
復活日は移動祝日なので、毎年変わります。
今年は遅い方です。
来年は4月5日とのこと。
春を祝うには良い時期になりますね。
遡って受難の金曜日。
長女との電話を終えようとしたときに、ふと思い出して
「そうだ、今日は受難の金曜日だから昼の12時になったら教会の鐘が鳴るよ」
と言いました。
「あら、去年は気がつかなかったけれど、後で聞こえるかどうか耳を澄ませてみるね」
といった数分後、長女から
「鐘の音が聞こえたよ」
というメッセージと共に動画が送られてきました。
画面に耳をくっつけながら聴く教会の鐘の音。
生活のなかに響く音を聞きながら、
「あぁ、彼女たちはこの音の聞こえる中で生活をしているのだ」
と改めて異国に住む娘たちの姿を思いました。
自分がその昔に聞いた、あの弔いの鐘を
今、聞いている娘たちがいる。
場所も年齢も時代も違うけれど、
変わらずに鳴っている鐘の音。
不思議な気持ちを彷徨った
この数日でした。