レクチャーコンサートを企画・運営していたころは本当に必死でした。
子育て真っ最中だったので、どうしても家庭が中心。
自由に時間を使うことができませんでした。
理想と現実にはいつも少しだけズレがあったかもしれません。
コンサートの企画をして、共演者に依頼してリハーサルをしてプログラムを作成して印刷。当日は家族総出で会場設定と受付業務やお客様対応、コンサート中の対応と撤収作業。収支はいつも赤字。とにかく弾き続けること、その場所を自分で創ること、家族を巻き込むことで私のライフスタイルだと思ってもらうことが一番大切でした。
子どもたちが幼稚園や小学校に行っているときにリハーサル。共演者には自宅へ来てもらっていました。
歴史背景や事実確認も、今のようにネットで簡単に調べられるわけではなかったので、本屋さんで本を買う、CDについている解説書を読む、図書館で調べるといった感じでした。学生時代のノートを引っ張り出して読み直したこともありました。
当日のお話は、初期のころは息継ぎをどこですればよいのかわからない状態。「金魚が酸欠でアップアップしているような・・・」話す速度も抑揚も
すべてが手作業で、独自の方法。良かったのか?悪かったのか?の判断はいつもお客様の反応と自己診断でした。
プログラムの印刷も自宅のプリンターでした。
少しでもおしゃれなプログラムを作りたいと思っても技術がないので、夫に相談して『Publisher』というソフトを買ってもらいました。とにかくそれまでパソコンを使ったことが無かったので、本当に苦労しました。初めはA4用紙にペラリと印刷。そのうち三つ折りで作成することができるようになり、用紙も文具店で買うことを覚えました。三つ折りにする作業は夫が手伝ってくれました。軍手をはめて、私がキッチンで弱音器をつけてヴァイオリンの練習をする傍らで、50枚ほどを折ってくれました。
それだけ準備しても、お客様は増減が激しくて、40人以上来たくださることもあれば10人に満たないことも多々ありました。いつも手探り、いつも勢いだけ。それでも続けてこられたのは、家族の応援があったからでした。未だに、次女が3歳くらいのときに「よろしかったらどうぞ」と籠に入れたアメを配っている姿を思い出してくださる方がいます。長女は幼いながらも受付の業務をしっかり覚えて、小学校高学年頃には完璧にこなすことができるようになっていました。その経験は私のリサイタルで大いに発揮され、頼れる存在へと成長しました。