こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
今日は次女の話をしましょう。
次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。
音楽高校時代はコロナ禍全盛期。
音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、
演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。
長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで
大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。
コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、
オンライン講習会に参加してみたり、
規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。
こちらもすべて自力。
正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、
更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。
フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。
夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、
ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。
高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、
高3の夏には3週間の一人旅。
講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。
「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」
と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。
秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。
大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。
我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。
話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に
「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」
と言いながらレッスンに通っていました。
高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。
スイスの音大入学試験直前のことでした。
ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。
すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。
父親の葬儀の5日後でした。
「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」
と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。
本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。
スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。
そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。
スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。
しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!
間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、
保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。
結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。
スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、
私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。
住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。
本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。
学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。
1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。
「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。
次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。
とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。
自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。
なぜ、自分が海外で勉強しているのか?
なぜ、私はここにいるのか?
覚悟と決断を重ねたからこそ、
二人とも小さなステップを重ねながら
着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
私の留学日記は時効のことも多く、
自分のことなので遠慮なく書けますが、
娘たちのことは現在進行形のこともあり、
本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。
長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。
しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。
私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、
出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。
しかし、状況は厳しくなるばかり。
長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。
それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。
不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。
ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、
それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。
私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。
言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで
いつもウロウロしていたような長女。
勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。
それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、
コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。
結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。
ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。
大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。
どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。
小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。
遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。
「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。
先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。
音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、
安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。
成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。
事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。
今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、
安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。
その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。
進学する大学が決まったのは2023年7月。
大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。
それから、住む場所を探すのも一苦労。
すでに入学試験の時に街の下見をして、
安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、
その後はひたすらネットで情報収集。
新築の物件を探してエントリーして結果待ち。
家が決まったのは出発の2週間前。
長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。