幼馴染の友人と一緒に、お互いの大事な人が眠る霊園をめぐるツアーをしました。
実家が近くて3歳くらいからずっと一緒に、外を飛び回って遊ぶ友達でした。
私の幼少期は、彼女を抜きに語ることができません。
高校・大学はお互い全く違う道へ進み、一足早く社会人としてしっかりと働く友人に羨望のまなざしを送りながら、私もドイツへ留学して頑張る姿を見せました。
その後はつかず離れず。
結婚して家庭をしっかり守りながら、友人が転勤族のためになかなか会えない日々でしたが、ふと気がつけば、車で20分くらいのところに住むようになっていました。
彼女のご両親が、実家の近くの霊園に眠っていると聞いて
「あら、その道を通っていけば、私の家族の霊園にも行くことができるよ。霊園ツアーしよう!」
と誘うと
「いいわね!」
との返事だったので、昨年の2月に初めて一緒に行きました。
彼女のご両親には、本当にかわいがってもらいました。
大人になってからも、あいさつに伺うと
「あら~かおちゃん~元気にしてるの~?」
とニコニコと話してくださった笑顔は今も私の大切な記憶です。
彼女のご両親のお墓は樹木葬。
滝に囲まれた大仏さまの横に、名前を刻んだプレートが設置されています。
名前を確認しながら、手が届けばその銘板に手を触れながら偲ぶことができます。
きれいに手入れされた園内は風通りも良く、友人はふらりと立ち寄って気持ちを落ち着ける時間を取っているそうです。
「家が好きだった母が、ここだったら近くて大丈夫かなって思ったの。迷子にならないから。私もここで良かったなって思っているわ」
穏やかに話す友人は本当に優しい人です。
私の大事な人たちが眠る霊園は我が家から少し遠いのですが、所属する教会墓所なのでいずれ私もそこに一緒に入るつもりでいます。
娘たちには伝達済みです。
今後どのように変化していくのかわからないので(教会の体制も変わるかもしれない)注視していくことになります。
遠くに海がちらりと見え、静かな山を見上げる静かなところです。
娘たちが一時帰国した時は必ず立ち寄りますし、私一人でもふらりと行くこともあります。
この3年くらいは元旦にお参りしています。同じような思いをもって訪れる人も多い様子なので、寂しい思いが少し薄れます。
今回は友人と二人で、思い出話をしながら、辛いことをポロポロと話す時間がとても貴重でした。
普段は忙しさに紛れてしまうこと、言っても仕方のないこと、どうしようもないこと・・・
そんなことも、友人だったら話すことができます。
お互い厳しい時期を通りながら生きていることは、経験を積んだこの年齢だからこそ共有できるのではないかと思います。
笑ったり、泣いたり。私たちだけにしかわからない、思い出話の数々が本当に愛しい時間でした。
余談:ちょっと老眼気味の友人が
「連絡もらった文章の【霊園ツアー】が【雪国ツアー】にみえちゃって、何言ってんのかしら~って思っちゃったのよ」
書いている今も、判別しにくいな…と思ってしまいました・・・
私たちもいつまで同じようにツアーができるかわからないので、今この時間を大切にしようと決めました。
【終活】という言葉に関して、今まであまり気にしていませんでした。
どちらかと言えば、両親(私の場合は実父)を想定している言葉なので他人事。
しかし、50代後半になれば実は、自分の番が目前です。
人生100年と言われても、そこに到達できる人は一握り。
健康年齢と寿命には約10年の差があることを考えれば、少しだけ現実的に有限な時間を真剣に見直す時期かもしれません。
冬眠時期に読んだ本の中には、そのことにまつわる内容もかなりの分量になりました。
読んでいると、気落ちするものもたくさんあります。
息を吸って吐くだけでもお金がかかる。
色々なことを背負いながら生きる。
「死んだあとは適当にして」という言葉がどれほど無責任なことか、もっともっと真剣に考えなければならないと思いました。

私は他の人より心配性で、先行きに不安を抱えつつ、石橋を叩いて渡るような性格です。
怖がりなので、一歩を踏み出す勇気に時間がかかりすぎることがネックになります。
でも、決めたことは最後まで遂行することができるので、じっくり考えて準備をしたら、あとはエイっと飛び込む勇気だけが必要です。
今は自分の中で決めたリミットを見据えつつ、準備を始めています。
今の時代は調べる手段がたくさんあります。
もちろん、ウソ・デマは数知れず。
その中で信頼できるものを探しつつ、自分の目や感覚を研ぎ澄ませて探していくことは、年齢を重ねてもできることです。
本を読むことで情報を取り入れることができたり、音声で今の時代を聞くことができるならば、私はまだまだ勉強できることがたくさんあるのだ、と気持ちがキリリとします。
あきらめないこと、投げ出さないこと。
すぐに結果が出なくても当たり前、と思うことが今の私には必要なようです。
二十四節気・啓蟄【けいちつ】
春の気配を感じて冬籠りから目覚めた虫たちが顔を出す頃。
この頃に鳴る雷を「虫出しの雷」と言うそうです。
家庭ゴミを出すために庭を通ったら、2、3日前には見られなかった雑草がワサワサと育っていました。
恐るべし生命力。暖かくなってきた証拠ですね。
先日、明治神宮へお詣りに行ってきました。

表参道に他の用事があったので帰り道に「寄らせていただいた」感じでした。
びっくりしたのはほぼ9割以上が外国人観光客。
日本人はどこに?
多分、私のように単独でお詣りをしている方が多かったのかもしれません。
ガイドさんの話に真剣に耳を傾けるグループ。
遠慮がちに写真を撮る人。
大鳥居に最敬礼する方。
私はいつものように、本殿へのお参りをして100円のおみくじを引きました。
明治神宮のおみくじは、大恩心(おおみごころ)と呼ばれていて、明治天皇と昭憲皇太后が詠まれた和歌にメッセージを託して伝えるものになっています。
今年は昭憲皇太后の和歌でした。
「油断大敵」とのこと。
襟を正してしっかりと歩きたいものです。
発売前から予約していた本。
でも、ずっと読めなかった本。

『真夜中のパリから夜明けの東京へ』 猫沢エミ・小林孝延
なかなか読み進められませんでした。
昨年10月末から読み始めて、やっと年が明けた1月末に読了。
ようやくアウトプットできるようになるまで1か月。
涙を流しながら、心を疲弊させながら、時に嫉妬しながら読みました。
きっと彼らは心の中で絶叫・号泣しつつも「往復書簡」というある意味一つのフィルターを通して語られていたので、自分よがりではなく、相手の見方も含みながら大きく「死」を見つめていたような感じがしました。私自身が「そのとおり!」と思うことが書かれていることに嫉妬もしました。
語り始めのぎこちなさや遠慮の空気をズバリと切り込んでいく猫沢さんの繊細な大胆さ。
ユラユラした語り口ではあるものの、根底に流れる揺るぎない強さを感じる小林さんの佇まい。
【人生はある日突然風が吹いて、それまでの景色を一変させてしまうもの】
【食べ物を食べておいしいと感じるのは罪悪感なのか】
【心の傷は時間とともに癒えるとか薄らいでいくわけじゃない】
どれも自分に思い当たることばかりで、未だに「あぁ、これを見せてあげたかったな」「きっと喜んだだろうな」と喪失を呼び覚ますことがあるのは確かです。それでも、【ただ今を生きることだけに集中して使いたい】と思うことに共感します。
【本が読めなくなった時期がある】
【家の片付けに集中した時期がある】
私も同じように、1年以上は文字を追っているだけの読でした。何もしないで電車に乗っているとふいに涙が出てくるので、それをカムフラージュするためにエッセイ本を持ち歩いていました。
「何かを変えるには今しかない・・・自分を守るために、これから私が生きていくためには替えなくちゃ」「いっしょに考えるはずだったことを、とにかく私が粛々と遂行しなければ」と突き動かされるようにバス・洗面所の改修工事をしたり、エクステリアの整備をしました。
喪失から再生へと向かうのは、そんなに簡単ではありません。
私はまだまだ弱い心で生きています。
それでも、自分自身を信じようと思います。
サポート方法は一つだけではありません。
その時、その状況によって変化していくものです。
五感を全部使って自分をサポートしよう。
自分自身をその方向へ向かわせよう。
ひな祭り。
3月になってもまだまだ寒い一日になりました。
久しぶりに電車に乗ったら、制服姿の学生が多くてびっくりしました。
卒業式のシーズンなんですね。
すっかり忘れていました。
いつもこの時期は、色々なことが重なってバタバタしていることが多かったです。
「バタバタする」って気軽に使っていた(どうかすれば気に入っていた)言葉ですが、今の自分には似合わないです。
先日、次女から
「5月に開催されるマスタークラスの申し込みを忘れてしまった・・・」
と嘆きのLINEが届きました。
2月は(28日しかないのに)ドイツやイタリアへの移動が多く、
それぞれの手配や準備に追われているうえに、
フランス語の論文提出も目前。
卒業後の進路に向けて、演奏録画を準備して提出しなければならず。
さらに新しい可能性を探るために、
友人のレッスンを見学して自分のレッスンを見直している最中でもありました。
生活面も、共同生活の中で生まれる居心地の悪さも拍車をかけていました。
確かに、心身ともにアップアップだったのは理解できます。
その上、バイト代のために急遽オーケストラの仕事を入れたり、
今回もパリでの録音の仕事を引き受けるという・・・
なかなかハードな状況。
私は正直「大丈夫かな、忘れ物しないといいけれど」
とは思っていましたが、本人が頑張っているのを応援するしかありませんでした。
次女は瞬発力が良いので、なんでも直感で動いてしまいます。
そして、どうにか自分を状況に合わせてしまうことが得意。
こちらが思っていることも、懸念していることも凌駕して突き進むエネルギーの高さには、本当に驚くことが多いです。
そして、そんな中での申し込みを忘れた…という事態。
単純な記憶欠如、リスト作成の不備、ミスかもしれませんが、もしかしたら
「このマスタークラスに行く必要があるのか?」
という根本的な熟考部分が抜け落ちていたのかもしれません。
積み重なった物事の中で、自然淘汰されてしまったものは、もしかしたら自分の本意ではないことかもしれないのです。
自分の生活(買い出し・食事作り・洗濯・掃除・練習・勉強)をこなしながら学校生活をこなし
将来を考えつつ、準備しながら仕事を引き受けたり友だちと遊んだり…そのすべてが外国語であれば、大変なことはわかります。
でも、それでも、ライフオーガナイズの方法は、忘れないでほしいです。
書き出すだけで良いから
「頭の中にあるから大丈夫」と思わないで
まずは紙とペンをもって書いてみて。
・・・そのように伝えました・・・
「パンを買ったから、公園にベンチで食べながら頭の整理します」と写真付きの返信がありました。
さて、どんな解決方法が見えてきたのでしょうか?
それとも、このまま「エイっ!」と突き進むのでしょうか?
