2月はかなり真剣に本を読みました。
おかげで積読がずいぶん減りました。
エッセイやビジネス書が中心だったこの2年くらいの読書生活も、ようやく短編や小説が読めるようになってきました。
今月11冊読んだ中で小説は3冊。
『月とコーヒー デミタス』(吉田篤弘)
『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒)
『BUTTER』 (柚木麻子)
とても印象に残る本たちでした。
それぞれの世界に浸る贅沢な時間。
ただ、小説は感情が剝き出しにさらされるので、時にその世界から抜け出せなくなることも多々あるのですが、冬眠生活の私にはそういった心配なく過ごすことができました。
「感情が剥き出しにさらされる」・・・こんな状態に自分を投げ出すことができるようになるのに・・・2年という時間がかかりました。
上記3冊には、それぞれ私の心の繊細な部分を刺激する場所がありました。
その細い弦をはじく瞬間が怖かった過去から、ほんの少し抜け出すことができた自分を発見することができてホッとしました。
大丈夫。まだ、どうにか生きていけそう。
小説に出てくる人たちは、不器用だったり変人だったりするけれど、どの人も堂々と自分のことを生きています。
それは、カッコいいとか、自信満々ではなくて、誤解がおこったり意思の疎通がうまくいかないような、私たちの生活でも隣の人にも起こっているような出来事で、特別なことではありません。でも、作者の言葉にのると、あぁ、こういうことなのか・・・と改めて自分の身近にある出来事を違う視点で見ることができます。
本を読みながら、グスグスと鼻水をすすった2月の日々。
自分の演奏を、今まで以上150%お客様に届けていこう、と心に決めた日々。
自分という枠をもうちょっと明確にみつめつつ
どうしたら生きやすくなるのかな、どうしたらラクになるのかな、と深掘りする毎日はまだまだ続きそうです。
3月は、本だけの世界に引きこもりすぎないように毎日を過ごします。
近頃は電車に乗るとスマホの画面を覗いている人が多いですね。
私は電車内では外を見たり、人を観察をしているようにして、「スマホを見ない運動」を自発的に行っています。
最近は、『積読解消推進強化期間』(長い!)なので、移動中も本を読んでいることが多いです。
そのため、せっかく外出しても本の内容で頭がいっぱいなので、寄り道をしながら新しい情報を仕入れることができなくなりました。
電車内ではInstagramを流し見している人が大半で、通勤時間には動画を見ている人も多いように思います。
(私は動画だけは見ることができません・・・動画はすごくプライベートな感覚がするのでリビングにいる自分の姿になってしまう。)
新聞記事を読んでいる人もちらほらいますね。(昔は新聞を器用に折りたたみながら読んでいた会社員のオジサンがいて、いつも感心していました)
その中で、スマホではなく本を読んでいる人がいると
「あ、何を読んでいるのかな」
と、ものすごく気になります。
本の大きさや形から、文庫・新書・単行本の判別ができます。
そして、購入した本なのか、図書館から借りた本なのか・・・
そんなところもついつい見てしまいます。
きれいなカバーをつけて文庫を読んでいる女性をみると、素敵だなぁと思います。
私の読書スタイルは、かなりワイルド。
気になるページを折ったり、時に傍線を引いたり、ポストイットを貼りつけたり。
出かけるカバンに、ポンと放り込むスタイルなので、カバーを外した表紙がたいてい汚れています。
それでも、初めはキレイだった本の表情が自分に馴染んできて
内容が染み込むころになると、私自身は豊かな気分になります。
本屋さんに行くと、本当にときめきます。
たくさんの作家さんや執筆者の方が、私に向けてアピールしてくるその熱気に大いに巻き込まれて、気がつくとお会計に向かっている自分がいます。
季節が変化してきていますね。
心と身体のバランスを保ちながら、足元をしっかり見つめながら歩いていきたいと思っています。
家にばかりこもっていたら、口角が下がってしまって滑舌が悪くなってしまいました。
久しぶりに『安否確認会』(私がそう思っているご近所の集まり)に参加して大いに笑ったら、とても気分が晴れました。
私って単純です。
今日の話題は本の話。
本を読んで、久しぶりに笑った日々。
思い出し笑いなんて、本当に久々で楽しかった。
『吾も老の花』(阿川佐和子)
もともと次女がエッセイ好きで、何冊も買わされた経験がある。
私は阿川佐和子さんといえば、檀ふみさんの往復書簡的な『ああ言えばこう食う』が好きで読んでいた。
時を経て、彼女も年を重ねてエッセイの内容も初老に関してのことが多くなり、私にとってはこれから出会うであろう諸々の出来事が興味深くて、違う視点で読む機会が多くなった。
今回は表紙の色と「古希」の言葉に驚いて購入。
阿川さんも古希なのか!と。
いや、そうだよ、私だって50代後半なんだもの・・・
この人のエッセイは、なぜこうも笑えるのか?
その笑いに嫌味がなく、品があってとても清々しい。
父(阿川弘之)との軋轢も、よくよく考えれば理不尽でもあるし許せないこともあるけれど、さらりとかわしてしまうところに、父への深い尊敬のまなざしが感じられる。
身体の変化の記述は本当にそのとおりで、読んでいるだけで「わかる・・・」と静かにうなずいてしまう。
立ったままズボンを片足に入れて「オットット・・・」と前のめりにつんのめってしまう・・・なんていうコントのような姿を、私自身も「自分、危ないぜ」と思いながらやっているが、その先に「ケガ」なんていうことを想像してしまうともう少しおとなしくしなければ、と思ってしまう。
ご本人は「自分は昭和の人間」といっているけれど、私もその気持ちは身に染みて理解できる。
なんだかんだ、昭和という時代は存在が大きくて重い。
私だって昭和を大いにひきずっている。
もう、2世代も前の時代なのに・・・
「昭和って良かったよ、勢いがあってね」
「昭和世代なんで・・・よくわかりません」
と良くも悪くも使い分ける「ズルさ」が昭和後半の私にはあると思っている。
「老い」を知るために読んでいたと思っていたこの本は、自分がどういうときに「昭和」という言葉を思いうかべ、どういう風にズルく使っているのかということを、よくよく考えるチャンスを得たような気がした。
積読その後の状況・・・
着実に消化しています。(頑張っているともいえる・・・)
2月は今日の時点で7冊を読了しています。自分にしてはかなりのスピードです。
小説・ビジネス書・エッセイ・新書と多様な種類を読めているのでとても充実感があります。
今年の初めに、この冬眠期間中はたくさん本を読もうと「決めた」ことが良かったと思います。
得意ではない冬の時期。
なにをやってもあまりうまくいかない時期。
でも正直に言えば、本を読むことが快適になるわけではなかったのですが・・・
私の性格としては、何かをしていないと不安になるタイプだったので今年は敢えて「とにかく本を読み続ける」ということを自分に課しました。
手始めは自分にとってハードルの低い「エッセイ」から。
そこから視野を広げる意味で新書や音楽やビジネス勉強のための本。
時々、本の内容に引きずられて落ち込むこともありました。
本は読んでみないとわからないです。
どんな物語なのか。
一つの視点を執筆者がどのように表現するのか。
自分自身の心が弱っているときに読書するのが良くも悪くも気持ちに影響してくるのは、私自身が過敏なところもあるからかもしれません。
それでも、とりあえず読み進めることを自分に課していました。
モチベーションはいらない。
その後はYouTube動画やSNSから情報を取り入れて、自分の興味のあるものや、今まで本棚に眠っていた本を取り出して読みました。
読み続けていくと文字を読むスピードは速くなってくることを感じます。
とにかく読むことをやめない。
本を目に付くところに置いておく、というのも良い効果になっています。
私は同時に3冊くらいを、その時の気分によって読み分けたり、外出先に持って行ったりするのですが、その方法も私には合っているような気がします。誰にでもおススメはしませんが・・・
この1年ほど、読書メモ(ノート)をとっています。
私は内容をすぐ忘れてしまうので、読みながらメモを片手に書き抜きながら読み進めることにしています。
気になったことやわからないと思うことをメモしていく。
その時の感情そのままに書くこと。
初めは読了後にメモをまとめて書いていたのですが、それですら忘れてしまう自分の記憶能力に限界を感じてメモを片手に読んでいます。
メモを書いていて嬉しかったことがあります。先日オンライン講座を聴講した時に、その中に出てきた言葉を以前に読んだ本のメモにみつけたことです。本の中に出てきた言葉を講座の内容と繋げることができたという小さな成功体験になりました。
ジャンルは違えども、時期によって選ぶ本というのは傾向が似ているので、メモを取っておくとつながりをしっかり結ぶことができます。
今回の積読消化はかなり厳しかったので、今後の本に対する気持ちが少し変化しそうです。
読めなくて苦しい思いをした本たち。
ごめんなさい。
時間がかかっても、あきらめずに少しずつ読み進めていきます。
あまりにも重たい本(内容的に)を読みすぎて、正常な生活に戻れなくなりつつあるのでちょっと違う本を読んでみました。
その前に・・
はるか昔のこと。ドイツ留学生活時代に本に没頭して昼夜逆転の生活をしていたことがありました。
「一人暮らしの醍醐味よね」
と当時は思っていたかどうか定かではありませんが、とにかく日本から持ち帰った本の楽しさから抜け出せずに読書を貪っていたことがありました。
好きなように読書を楽しみ、昼間はドイツ語学校に行きつつ宿題をこなしてヴァイオリンの練習をしてご飯を作って食べるという、今考えれば夢のような生活。
その後、オーケストラで働き始めて生活のリズムが加速。
日本帰国後は、必死に走って目の前のタスクをバッタバッタとなぎ倒す日々。
その頃には、文字を読むのは新聞広告か娘たちが持ってくる学校のお知らせか、良くて新聞の短いコラムのみ。
「あぁ、本が読めるようになるのはいつなんだろうか」
とため息をついていた日々。
気がつけばまた読書に沈む毎日がやってきました。
幸せなことです。(ちょっと目がしょぼしょぼするけど)
この幸せを、しっかりと享受したいです。
そして、実は本を読むことが苦痛ではなくなったことに、自分の中の余裕を感じることができました。
自分を抱きしめたくなりました。
「そうだよ、ちゃんと読めるようになって良かったね。この3年間読みたくても読めなかったからね。苦しかったものね。」
忙しくしていなくちゃならない、暇だって言っちゃいけない、頑張っているって思われなくちゃいけない、という呪縛がとりついていたからとても苦しかったです。誰に思われているわけでもないのですが。
そんな思いから今回は『HYGGE 365日シンプルな幸せのつくり方』(マイク・ヴァイキング 三笠書房)を改めて読みました。
(前置きが長すぎた・・・そして、読むというより眺めた・・・かな)
購入したのは2018年頃だったと思います。
その頃は娘たちが巣立ちを意識し始めて、生活全てが全速力で。
とにかく走らなければ追いつかないような時期で・・・自分の中で何か警鐘が鳴り響いているころでした。
この本を手にしただけでホッとした記憶があります。
HYGGEなスペースを家の中に作りたくて・・・
自分の逃げ場所が欲しくて・・・
自分の本だけを集めた場所を作ったのもこの頃。
その後、コロナ禍で家族それぞれが居場所を求めて家の中をウロウロしてイライラしていたときに、家族が集まってアペリティーヴォを楽しむ時間を作ったのもこの本がヒントでした。
そんな生活がガラリと変化した3年前。
私の世界から本の存在が希薄になりました。
読まなければならない書類の文字を追うことが精いっぱい。
実用書を読んで理解することが急務。
送られてくる手紙に返事を書くことで気力を奪われる毎日。
それが少しずつ変化してきたとき、この本は本棚の片隅にそっと置かれるようになりました。
きっとこれが一段落したら読める気がする。
私だけのHYGGEを探そう。
本棚に置かれたときには思い出すことが多すぎて見るのも辛かった表紙の絵。
でも、敢えて私がその本を置き続けたのは、自分が心のどこかでHYGGEを望んでいることを感じたからだと思います。
そしていま、この本は改めて私を優しく受け止めてくれました。
手に取る本は、自分で選んでいるんだな・・・
ページをめくりながら、購入したころとは違う感覚で読みました。
家に引きこもるとき、私はこの本の中にあるアイデアを拝借します。
「今日はムービーナイトにしよう」
「今日の珈琲はあのマグカップにたっぷりと淹れよう」
本当は、家族や友人と過ごすことを推奨しているのですが・・・
それはまた違う機会に期待しましょう。