音楽に関しての小説や物語は率先して読む方ではありません。
どうしても勉強の要素が大きくなって、苦痛になるから。
今回手に取った本の帯に【忘れかけていた音楽の喜びを再び取り戻していった・・・】という言葉に魅かれたのですが、実際にページをめくるまでに半年もかかってしまいました。
コンサート繁忙期には、音楽についてのことなどを延々と読んでいられないメンタルだったし、冬眠期間中は楽器の名前さえも見たくなかったです。
でも、そろそろ自分を鼓舞しなければならない時期になっているし、積読も最終コーナーだったのであきらめて読み始めることにしました。
主人公が、パリの片隅にある不思議なピアノ工房に魅せられて通い始めて、ピアノを手に入れる。忘れていた感触、憧れていたピアノ。しかしそこからが出発だった。ピアノという楽器の構造、部品の知識、ピアノの辿ってきた時代背景。そして人(調律師・ピアノ教師・ピアノ製作者)。工房主と交わされる会話から交流が生まれ、視野が広がり、日常が今までより鮮やかに動き出していく。

【調律師は科学者であり、アーティストであり、心理学者でもある】
という一文には、深く頷きました。
私はピアノ調律師をとても尊敬しています。
いつもお世話になっているリサイタルの調律師は、ピアノ自身の持つ魅力を活かしながら、私(ヴァイオリン)との協和・共鳴が最大限に発揮されるようなチューニングする技術を持っています。私の音、プログラム、ピアニストとの相性などを透かして見られているような気がします。
いつも感心してしまうのが、本番のテンションにぴったりに合わせてくることです。
彼は朝一番に調律をした後は、後ろの席でじっとリハーサルを聞き、リハーサル後は本番直前まで微調整を繰り返し、私がステージに立つ度同時に去っていきます。リサイタル中に調律が破綻することがないとわかっているので、本番の立ち合いはお願いしていません。プロの仕事とは、こういうことなのだ、と身をもって感じます。そして、いつも「自分もプロの仕事をしているのか?」と問いただす時間にもなります。
演奏することだけがプロではない。
コンサート前後の、全てのプロ集団が集まってコンサートを作り上げていく。
舞台に立つ演奏家は、そのすべてを引き受けて聴衆へ届ける。
音楽の喜びを再び取り戻すことができたか?
私の場合は、12月のリサイタルへのカウントダウンが始まった・・ということです。
日曜日、どんな音楽を聴いていますか?
私は仕事柄「クラシックしか聴かないでしょ?」と言われますが、そんなことはなくて色々聞きます。
朝は大抵ラジオを聞いて簡単なニュースと天気予報の情報を仕入れます。
その後の作業時は、アレクサに適当に音楽を流してもらうか、YouTubeチャンネルのライブで【リラックスミュージック】などを画面を見ながら耳の負担にならない音量で聴いています。
コンサートプログラムなどで楽譜を見ながら確認作業をしたり、ピンポイントで楽曲の音源を聞きたいときには、ちょっと壊れつつあるCDコンポが活躍します。スピーカー機能が良いので音がクリアに聞ける利点はあるのですが、CDの入れ替え作動時にテーブルが勝手に閉まってしまうのでアタフタします。
出かけるときに車を使う場合は、スマホと連動させて自動的に音楽が流れる設定にしています。
(娘たちがK-popを気に入って大量に聞いていることがあるのでびっくりすることがあります・・・)
最近は昔の映画サウンドトラックを聞いています。
そういえば留学した当初、映画のサウンドトラックをずっと聞いていたことがあります。
ケビン・コスナー主演【Robin Hood-Prince of Thieves】の主題歌がヒットミュージックランキング1位に延々と君臨していて毎日聞いていました。
10年以上たってやっと映画本編を貸しDVDで見ることができた時はとても嬉しかったです。
その他には、娘と【アナと雪の女王】(吹き替え版)を見に行った時も、映画館を出てまっすぐHMVに行ってサントラ盤を購入しました。
娘より私の方が感激していたような気がします。
英語版・日本語版の聴き比べができて贅沢なCDでした。
ただ、映画音楽を聴くとリズムが難しかったりするので
「おぉ・・・演奏は難しそうだなぁ」と頭の中でソルフェージュしてしまってニヤニヤしてしまうこともあります。
こういった作品のレコーディングは通常、短時間で収録することが多いです。
演奏者たちの集中力にかかっているので重労働です。
短い時間で最高のパフォーマンスを、そして妥協なく完成する。
レコーディング現場を想像できるのは、音楽家の特権かもしれません。
出来事が蘇ったり、映画製作の裏側を想像したり、その時の自分の気持ちを思い出したりすることは、私の今の世代だから楽しめる特権ですね。
音楽を勉強していると、キリスト教の行事に沿った楽曲に出会うことが多いです。
当時の作曲家の仕事は、教会付きのオルガニストであったり、聖歌隊や合唱の指揮者など教会での奉仕として音楽を取り次ぐ役割をしていることがありました。
私たち演奏者としては、そういった教会歴や聖書の内容を少しでも理解していることは大きな利点となります。私たち日本人には少し遠いと思われるキリスト教。幸いなことに、私自身はドイツに住んでいたこともあり、生活の中に教会生活の影響が大きかったです。
キリスト教の暦では、今日から四旬節に入ります。
キリスト復活祭の日までの準備期間の40日間のことを指します。
イエス・キリストが荒れ野で断食した40日に由来するとか。40日という数はキリスト教にとってとても意味のあるものです。
今日は灰の水曜日。
カトリックでは、額に灰を受ける儀式を行うそうです。
姉に話を聞くと、カトリック教会では去年の棕櫚の枝を燃やした灰で額に十字のしるしを受けるとか。
自らの信仰を見つめなおして、静か心を落ちつけて過ごす日々。
粗食を心がけて、華美な生活をしないと言われています。
私は心の奥底にそのような気持ちを持ちつつ、普通の生活をしていきます。
春の息吹を感じながら、少し落ち着く時間。
大切なことだと思っています。
懐かしいドイツでの生活では、今頃からうさぎの形をしたチョコレートや、イースターエッグのチョコレートがケーキ屋さんに並び始めます。
そしてイースター休暇の相談をする人たちの会話から、本格的な春の訪れを心待ちにする日々が始まります。
今年の復活日は4月5日。
日本は桜の季節ですね。
今年のリサイタルの曲目を絶賛思案中。
無伴奏曲の一音を弾き出すとき。
私はとてつもなく怖いと感じる。
舞台に一人だけで立つ。
明かりの焦点が楽器にあたる。
息をひそめて集中した重い気配が客席から忍び寄る。
いつのタイミングで音を出そうか。
今か?
もう少し待つか?
・・・エイっと心の目を閉じて弾き始める。
その瞬間に「さぁ、後戻りできない」と間髪入れずに思考が動き始める。
気が弱くて怖がりのくせに、そんなことを思いながら演奏する無伴奏の曲が好きだ。
今年もきっと無伴奏の曲を選曲するだろうな…と思いながら
「さて、どの曲を?」
と考える時間が一番楽しい時間。
(そして本番前に後悔するのも毎度のこと)
私のホームページはずっと放置状態でした。
自分の経歴を乗せておけばいいかな。
そこを覗いて私のことをわかってもらえればいいや・・・
というような気持ちで作成してしまったので、後の管理が大変すぎてほぼ断念していました。
放置している間に自分の環境が激変して、持っているものがすべて何もなくなってしまうような状態になりました。
そんなとき、遅まきながらリウムスマイル!の穂口代表が開催するオンラインセミナーに恐る恐る参加しながら、少しずつ自分の傷をいやしつつ、学びつつ、同じ個人事業主で頑張っている方たちと交流してきました。
穂口さんのセミナーは、最終的には自分で決めるんですよ、というスタンス。
様々な手法があるけれど、その人なりの方法があるから自分でトライ&エラーすること。
自分で選ぶということは、自分で責任を持つこと。
自分で選んだのであれば、自分が納得したもの。
その考え方は私自身にとても合っています。
自分の人生は自分がコントロールすることは、とても難しくてうまくいかないことも多いけれど、結局「自分が選んだのだから」という答えが常にあります。
なんでも時間のかかる私。
理解するにも、決断するのも、行動するにも時間がかかりすぎるのです。
音大時代に、勉強している曲が仕上がらなくて3か月くらい悩んでいたら
「悩むのは1か月くらいにしてよ」
とヴァイオリンの師匠にも言われたくらい優柔不断で怖がりです。
道筋が決まれば歩き出すことができるのですが、それまでが長い・・・
走りながら考えれば良いと言われるけれど、それが怖くてできない。
そのクセが染みついていると、なかなか脱却できませんね。
私も50代後半。
「私はいつまでこうしているのか?」
「残りの人生はそう長くないけど、大丈夫?」
と思うようになり、自分が社会に役に立っている実感が欲しくてホームページの改良を始めることにしました。
そう、そのために辞めたと言っても過言ではない地域での役目。
でも、私はすぐに動けるようなタイプではなく、あーだ、こーだと揺れ動いてばかり。
これを書いている最中も、思考はあちこちに飛んでいます。
ホームページを少しずつ整え始めてから、さらに「自分」を俯瞰する作業や決断の数々は増えてきています。
いちいち悩みながら、躓きながら。
それでも私は「任務完遂」はどんなことがあってもできると思っているので、時間がどれだけかかろうとも完成へ向かっていきたいと思っています。
(期限を決めているのにいつもその通りには終わらないけれど・・・)
その都度、目標地点が螺旋のように違う位置に設定されるので、同じ位置に足踏みしていることはないと信じています。