こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
長女はドイツ語圏の大学院、次女はフランス語圏の大学に通っています。
二人とも英語が第1外国語、独語・仏語は第2外国語です。
母国語からかなり離れた言語なので、とても苦労しています。
特に長女はかなりの時間を英語に費やしたので、
しっかりと英語脳ができあがってしまっているので、
ドイツ語の言語構成を操るのが難しいようです。
それでも、大学の入学規定として
ドイツ語能力B1のレベルを取らなければならず、
苦労して勉強していました。
ドイツの音楽大学は言語に関しての規定がとても厳しくなって、
B1もしくはB2相当の能力が必要不可欠です。
入学してから外国人のためのドイツ語クラスを受講し、
資格試験のサポートするシステムがあり、
長女はここでも上手にコミュニケーションをとりながら勉強をしていました。
ただ、英語ができれば生活そのものに大きな支障はないので、
長女の場合は英語を主軸にして
ドイツ語でも一般会話ができるくらいのレベルアップを目標にしています。
(契約関係や役所関係は英語で交渉といった感じ。双方が外国語になるのでお互い慎重に話すことになるので、誤解を避けられる)
次女は仏語で大学の講義を受けなければならないので、
仏語の言語能力強化が必須です。
英語よりも仏語に力を入れて暮らしているので、かなり上達したと思います。
こちらも大学入学までに取得しなければならないレベルがありましたが、
日本の学校の授業だけでは追いつかず、
語学学校のプライベートレッスンなどで補っていました。
次女は一度も仏語が難しいといったことはありませんが、
フランス人との会話は難しい・・・と言っています。
もしかしたら相手によってなのかもしれませんが、
会話内に哲学や思想、神話の話が多くて、
日本の古事記や歴史、雅楽などの知識を尋ねられると途端に話が途切れてしまうのが悔しいと言っていました。
なるほど。
海外に住むには日本のことを知っていなければならないのは当たり前です。
当然のように、住んでいる都市の人口は尋ねられますし、
文化や歴史についての見解はよく聞かれる話題です。
1年目は次女のために哲学の本(初心者用)や、
フランス語会話(中級くらい)の本をせっせと送付しました。
音楽教育も日本との違いは歴然としていて、
次女はそれゆえの苦労をしています。
(日本の音楽教育は固定ド音。フランスは移動ド音。
絶対音感の音楽家に相対音感でソルフェージュの授業を受けるのは辛い・・・)
思想の違い、
文化の違いを実感しながら、
まだまだやわらかい自分の音楽を、
異文化の中で模索していく作業は、
思っている以上に難しいと思います。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
娘たちに英語の大切さを教えたのは夫でした。
夫は中学時代の恩師が英語教師で、英語の楽しさと大切さをしっかりと学びました。
高校時代にはラジオの英語放送を聞いたり、在日米軍軍人から英語を習ったりしていたようです。
大学時代には単位外の英語の授業を聴講していたらしく、教授に驚かれたとか。
そんな真面目で熱心な気質は長女が受け継いでいるように思います。
大学を卒業してから務めた保険会社でも海外案件を担当することも多く、
社内では異例の研修制度でアメリカ・ロサンジェルスに住んでいたこともあったようです。
転職した外資系保険マネジメント会社では、英語漬けの毎日。
(米語のアクセントがきつすぎて、私にはちょっと理解不能だった・・・)
このころから娘たちには「英語が話せるようにならなければ世界で勝負できないぞ」と話していました。
この刷り込みは強烈でした。
「中学の英語教育は良いと思う。とにかく文法さえ身についていればなんとかなる」
と娘たちの中学時代は文法の大切さを話していました。
(私は文法が全く頭に入らないタイプで、そこで苦労したので娘たちには頭が上がらない・・・)
娘たちも徐々に渡航回数が増えてくると、
生活でのコミュニケーションからトラブル対応、
更にはホテルのブッキングからフライト予約、
講習会の申し込みや問い合わせなどを
すべて自分でできるようになっていきました。
ただ、自分の意見を言う場面では、経験と、ある程度の日本語能力も関係してくるので、
私が時々アドバイスをするようにしています。
日本語での思考だと
現地人には通じないかもしれないことや
海外での主張のしかたや契約等の注意事項などは
私の経験から伝えることもあります。
長女は日本企業でのインターン経験もあるので
私のアドバイスはほぼ必要ないと言えます。
次女に関してはまだまだ発展途中かもしれません。
私自身の経験で言えば、
日本語の表現力が増すと、
外国語も上達するという相乗効果があると思っています。
流行り言葉をベラベラ話す外人よりも、
きちんと文法のしっかりした言葉を使う人の方が、私は好感を持ちます。
それと同じで私も娘たちには、その国の言語を学ぶと同時に
日本語もきれいに話して(書いて)ほしいと思っています。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
今日は次女の話をしましょう。
次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。
音楽高校時代はコロナ禍全盛期。
音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、
演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。
長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで
大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。
コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、
オンライン講習会に参加してみたり、
規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。
こちらもすべて自力。
正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、
更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。
フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。
夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、
ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。
高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、
高3の夏には3週間の一人旅。
講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。
「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」
と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。
秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。
大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。
我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。
話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に
「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」
と言いながらレッスンに通っていました。
高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。
スイスの音大入学試験直前のことでした。
ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。
すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。
父親の葬儀の5日後でした。
「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」
と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。
本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。
スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。
そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。
スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。
しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!
間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、
保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。
結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。
スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、
私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。
住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。
本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。
学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。
1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。
「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。
次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。
とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。
自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。
なぜ、自分が海外で勉強しているのか?
なぜ、私はここにいるのか?
覚悟と決断を重ねたからこそ、
二人とも小さなステップを重ねながら
着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
私の留学日記は時効のことも多く、
自分のことなので遠慮なく書けますが、
娘たちのことは現在進行形のこともあり、
本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。
長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。
しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。
私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、
出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。
しかし、状況は厳しくなるばかり。
長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。
それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。
不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。
ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、
それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。
私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。
言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで
いつもウロウロしていたような長女。
勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。
それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、
コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。
結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。
ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。
大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。
どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。
小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。
遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。
「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。
先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。
音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、
安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。
成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。
事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。
今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、
安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。
その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。
進学する大学が決まったのは2023年7月。
大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。
それから、住む場所を探すのも一苦労。
すでに入学試験の時に街の下見をして、
安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、
その後はひたすらネットで情報収集。
新築の物件を探してエントリーして結果待ち。
家が決まったのは出発の2週間前。
長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。