塚本香央里 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/04/17
107「子どもが赤ちゃんのときの練習方法」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

キッチンは私の練習場所でした。

昼間のキッチンは娘たちのために食事やおやつを作り
夜になるとヴァイオリンのケースを広げて
特大の消音器をつけて練習。

長女が赤ちゃんの時は
ベビーベッドの横にモニターを置いて
フェッ、フエッとぐずりだす声が聞こえると
楽器を置いて2階へ飛んでいき
しばらくなだめてから戻ってきて練習。

細切れの練習しかできないので
弾けない場所を頭に入れて
どのように練習するかを常に考えていました。
  • メトロノームと一緒に練習する。
  • 左手を中心に8小節だけ反復練習する。
  • 右手の運弓を確認(移弦やとばしの場所など)
音程の練習がなかなか大変で
消音器をつけていると微妙な音程がわからなくなって苦労しました。
スケールの練習も2オクターブくらいをひたすら弾くばかり。
重音の練習も音程がわかりにくくてあまりできませんでした。
通算で1時間も弾ければ良い方でした。

通しで練習したいときは
休日などに娘たちを夫に託して
3時間くらいの間に弾きまくる・・・
やっと時間ができても
体力・気力が続かなくて
へたり込むことも多かったです。

キッチンで練習するときは
カレーやシチューを煮込んだり
当時は味噌づくりもしていたので
大豆を茹でていました。
日々の作り置き、お弁当の下ごしらえなども。
短い練習を終えると
本当だったらビールかワインでも飲みたいけれど
そんな気力もなく布団に倒れ込むような日々。

その時は
「弾くのをやめてしまったら、戻れない」という
悲壮感が漂っていたかもしれません。
私は自分が怠け者だということは自覚しています。
弾かなくなってしまったら
そのままヴァイオリンを手に取らなくなってしまうかも・・・
そんなこともあり得ると思っていました。

ちょっとでも弾くことを目標に
演奏機会をいただければ
なんとか全力で弾くことに集中しました。
演奏技術的には
衰えてしまったところもあるかもしれません。
でも、ずっと休まずに続けてこれたことは
私の誇りであり
家族の協力のおかげだと感謝しています。


今ではすっかり座らなくなった
キッチンのアイランドに備え付けてある高椅子。
実家の自分の部屋から持ってきた椅子なので
もう、すでに35年以上の相棒。
夫が夕食を食べる
私が一人で昼食を食べる
娘たちが朝ごはんを食べき
思い出の多い
ずっと記憶に残る家具の一つになりました。





2025/04/16
106「OrdnungとはOrganaizeといっしょ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

先日、ふと長女のnoteをのぞきに行ったら
面白い記事があがっていました。
不定期ですが、ドイツの生活のことや
自分の思考についてなどを綴っています。
とても興味深く一読者として読んでいます。

今回の記事は「掃除について」でしたが
内容はライフオーガナイズのことなので
もしよければ読んでみてください。

私がライフオーガナイザーであることを
ちゃんと認めてくれている娘たちには
いつも感謝しています。


音大生の思考のーと

2025/04/15
105「3人のヴァイオリニスト」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


我が家には3人ヴァイオリニストがいます。


ヴァイオリニストを量産する予定はなかったのですが、

今の段階では4人家族中3人がヴァイオリンを弾いています。

他の人からは

「お母さんの姿を見ているからなのね」

「すごいね、娘二人ともヴァイオリンを弾いているなんて」

「すごくヴァイオリンが好きなのね」

興味・奇異・感嘆・・・様々な視線で見られます。


私は娘たちにヴァイオリニストになってもらいたいわけでもなく、

ヴァイオリンが好きかどうかもわからず、

ましてや自分の姿を見ているからヴァイオリンを続けているとは思っていません。

ただ、


音楽が共にある人生は豊かで彩りがあり、

自分の拠りどころになる存在になるはずだよ


ということは心から伝えたかったです。


と言いつつも、

娘たちが幼い頃は、かなり苦痛な思いをしたことも確かです。



そんなお話を、少しずつすることができたらと思います。

親として
音楽家として
指導者として
様々な目線から娘たちを見てきたことを
お伝えしたいです。


2025/04/14
104「教会でコンサート」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

札幌北一条教会にて
昼休みコンサートに出演しました。

北一条教会では毎月1回
入場無料の「昼休みコンサート」を開催しています。
お昼の12:20~12:50
「気軽にオルガン音楽に親しんでもらいたい」と
1993年から春と秋に4回ずつ行っているとのこと。

今年の開幕コンサートの奏者として呼んでいただきました。
ちょうど今の時期は、キリスト受難節といって
イエス・キリストの最後の苦難と死の日々を思って過ごす時期です。
どのような曲を選ぼうか、楽しみでもあり悩みもしました。

まずは「ファンタジー第5番」(テレマン)の朗らかな
春を告げるファンファーレのような音列でご挨拶。
ヴァイオリンの音色にハッと驚いてもらう。
一転して「パッサカリア」(ビーバー)をじっくりと聞いていただく。
日々の生活の中で感じる守護天使の見守りに力を得て
同じ歩幅で歩いていけば良い、と音楽に教えてもらおう。
そして、拍子感覚や調整感覚を逸脱する
「無伴奏ヴァイオリンソナタ第5番(オーロラ)」(イザイ)の音楽で
様々なヴァイオリン奏法、音、その先に聞こえてくる
夜明けの風景を感じるように。
最後はオルガンと共に奏でる
「マタイ受難曲より【憐れみたまえ、わが主よ】」(バッハ)
まさにこの時期に、自分の行いを後悔して泣き崩れるペテロの姿を
自身に重ねて深く祈る。

30分のコンサートの中に、ストーリーがあり
エンターテイメントがあるように
思いを込めて演奏しました。

当日は150名の方が聞きにいらしてくださり
会堂いっぱいの思いが
静かでありながらも力強いエネルギーとなって
空気を震わせていました。

オルガニストの友人は
ドイツの教会で主任オルガニストとして活躍していました。
そのため、少しの違和感があるとすぐに調整して
演奏することができます。

オルガンは
音色の選択が重要で
音色ひとつで
その曲の解釈が全く違ってしまう楽器です。
ヴァイオリンとのバランスを考えながら
オルガンの役割を果たすのはなかなか難しいものがあります。

オルガンの音作りを聞きながら、
リハーサルの時からとても貴重な時間でした。

なかなか経験することのできないオルガンとの共演。
それも、パイプオルガンとの共演は
本当に至福の時でした。

丁寧に音作りをしていくことは
これからの自分の演奏にも反映したいところです。


2025/04/13
103「家族で海外へ③」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。




旅の続き。

娘たちはこの旅で、自ら積極的に異国の空気を楽しむことを覚えました。

私たちも手取り足取り教えるのではなく、

お店などでケーキやおかずを自分で選ぶように声をかけたり、

スーパーでも自分がおいしそうだと思うものを試してみるように言いました。

特に長女には中学校で習った英語でも通じるかどうかトライしてみるように背中を押しました。

わからないなりにも得るところはあったようで、コミュニケーションの大切さを感じる一歩になったと思います。

お気に入りの漫画の主人公が食べていた【カヌレ】が食べたくて、

ショーウィンドウをのぞいていたところを、お店のおじさんにフランス語で延々と話を聞かされている長女。

その横で目を丸くしている次女。

本場の【カヌレ】の味は忘れられない味となったようです。


家族それぞれが、それぞれの楽しさを享受した思い出。

一日中歩きまわって疲れてアパルトマンに戻ってくれば、サラダとワインを飲んでベッドに倒れ込む。

健康的でした。


ただし、娘たちに一番厳しく伝えたことがあります。

危険を察知する能力を養うことでした。

海外は日本ほど安全ではありません。

旅行者となると、危ない場所に気がつかずにトラブルに巻き込まれることもあります。

  • 目立つ格好をしない
  • 地下鉄に乗るときの気の配り方
  • 歩く時の視線の動かし方


夫と私のすべての行動を娘たちはちゃんと見ていたような気がします。

一度RER(近郊線)の列車に乗って移動したことがありましたが、

とにかく駅のホームが暗くて不安になりました。

どうしてもその列車に乗らないと帰れないものだったので仕方がありませんでした。

その時にも

「こういう列車は気をつけた方がいいからね」

と一言いうだけで娘たちにはそれが何を意味するのか分かったはずです。


10年後の今、娘たちには危機察知能力がきちんと備わっていると思います。

娘たちは

「あのときは、何となくしかわからなかったけれど、あの経験がすべての源になっているような気がする」

と言っています。



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