塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

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2026/06/13
164「サクランボ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

「佐藤錦」というサクランボをいただいたことがあります。

ツヤツヤで実が大きく、果実の味が濃厚でとても美味しかった記憶があります。恭しくガラスの器に盛られたサクランボを、周りを見渡しながら、数を数えながら食べました。「ひと籠全部食べたい・・」という欲求に駆られながら、ひと粒口に含んでゆっくり味わいました。


サクランボはこの季節が旬です。

調べてみると、果物には珍しく身体を温める性質があるとのことです。食欲不振や胃の不調に良い果物だそうです。体の中に溜まった湿気を取り除いてくれて、お腹の張りをなくしてくれる心強い果物です。旬のものは、その季節の不調を取り除いてくれたり、活力を与えてくれる自然の恵みなんですね。


私の性格としては、サクランボは実が小さすぎてガツガツ食べられないところがちょっと不満。そして高価な果物は遠慮して、満足するまで食べられないので性に合わない・・・と思っています。


2026/06/12
163「庭を眺めながら」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

去年の6月に、庭のリフォームをして芝生を撤去しました。

雑草を引き抜く作業が大変でしたし、夏の間は危険な暑さで庭に出て作業をすることもできず途方に暮れることが多くなってきたからです。一時期ご近所さんに草刈りをお願いしたこともあったのですが、私よりもだいぶ年上の方にお願いするのも気が引けました。そこで思い切って庭のイメージを一新することにしました。

芝生の庭は、我が家にとってたくさんの思い出がありました。娘たちが小さい頃は、おままごとの場所。お友だち家族との交流は、いつも庭で遊ぶことでした。バーベキューをしたり、鬼ごっこをしたり、遊びの宝庫でした。子どもたちも家の中の遊びに飽きたら庭へ出て、夏はビニールプールに花火、冬は寒い中でもおままごとなど、季節を問わずに楽しむことができました。


思えば実家の庭にも芝生があって、私にとってたくさんの思い出がありました。お友だちとの遊び場はいつも我が家の庭。走り回ったり寝転がったり、芝は万年剥げてしまっていつも茶色でした。テニスラケットを振り回したり、縄跳びをしたり、私の遊びの基本は我が家の庭でした。庭の中央にあった小高くなった小さな山は、歌番組の舞台になったり雪の季節の山小屋になったり、想像力で七変化でした。雨の日は、家の中から庭のくぼみに降りしきる雨粒を飽きることなくじっとみていました。

そのうち父のゴルフ練習場所となり、誰も庭に出なくなるとモグラが住み始めたようです・・・後年、父が困って「モグラ退治」の薬品を買っていました。

芝生の感触は今でも覚えていて、季節ごとの芝生の表情も思い浮かべることができます。


庭の芝生を撤去するにあたって、ご近所さんからは「もったいない」とさんざん言われたのですが、芝生をきれいに維持するのは案外手間がかかることと、誰も遊ばない芝生の庭は寂しいと感じたからです。それよりも、少しモダンな雰囲気でこれからの我が家のスタイルを表現したいと思いました。

変化していく庭の情景。


ずっと変わらないものはないんだなぁ・・・と少しセンチメンタルに眺める今の庭の風景は、今の自分にぴったりです。





2026/06/11
162「蛍」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

ボンヤリと暦を見ていたら、今日は七十二候の「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」という何とも難しい文字の並ぶ頃らしいです。昔の人は、腐った枯草が蛍になったと思っていた様子です。草場にふわりふわりと舞う蛍は、梅雨の初めに羽化します。そう、蛍が舞い始める頃なんですね。


私の実家の近くには里山があって、蛍を見ることができました。幼い頃、蛍が見れることはそう特別なこととは思わずに過ごしていました。後年、父が独居している頃「孫に蛍を見せたい」と言われたのですが、私は6月が蛍鑑賞の時期と知らず「夏になったらね」とトンチンカンなことを言って、見逃してしまいました。残念なことをしました。

実家には蛍についての絵本がありました。あまり良く覚えていないのですが、蛍の一生を描いた絵本だったと思います。蛍は羽化して1~2週間で寿命を終えるので、その短い時間のことを綴った物語だったと思います。悲しい絵本はあまり好きではなかったので、その絵本の表紙を見るだけ、またはパラパラとめくるだけでした。そのときの絵柄が夏の様子にみえたので「蛍は夏に見るもの」という固定観念が植え付けられてしまったのかもしれません。


蛍には「人の魂が蛍になって現れる」という伝承が伝えられています。古くは和泉式部も詠ったとか。

小さな光を伴って、ふわり、ふわり、とあちらこちらに舞う蛍。

あの里山で、まだ見ることができるのでしょうか?



2026/06/10
161「梅雨は本と共に」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

梅雨らしいお天気ですね。

先日ようやく読み終えた本のことを少しだけ。


『「世界を動かす宗教」講義』(池内恵 編著)

1か月くらい持ち歩きながら読んだ。なかなか進まなかったのは、自分の身辺が忙しかったからという理由もあるが、世界の動きを頭に入れながら歴史を追いながら読むのは私には難しかった。そもそも自分の基礎知識に偏りがあるからだと実感。まだまだ勉強することはたくさんあるな、と痛感。


政治に密接している宗教。私たち日本人には難しい問題だと感じてしまう。

個人的にはイスラムのジェンダー論がとても興味深かった。イスラムの女性は制限が多すぎるのではないか、という一般的な見方は正解ではない。その社会で生きている女性たちは、自分たちがより良い生活ができるようにとしっかりと主張しているのだ。声高に発信するのではなく、より深いところでたくましく、したたかに生きていることを感じる。自分の生き方に軸があるのだと思う。


日本の宗教は曖昧だと言われる。そのあいまいさが自由に感じられるし、束縛にもなり、逃げられる余白にもつながっている。言葉にしなくとも・・・という感情・感覚の美しさを磨いてきた私たち日本人も、時代の流れに沿って緩やかに変化の途中なのかもしれない。すべてを言語化することは難しいとしても、言葉にするからこそ理解しあえることも学んでいかなければならないのだと思う。


読みながら、歴史のことを考えたり、いまの社会を改めて見つめてみたり、自分のいる日本とヨーロッパに住んでいる娘たちのことを考えたり・・・
内容が世界の宗教について網羅してあったのは私にとって良かったかもしれない。対談あり、文献あり、切り口が様々にあることが面白かった。ただ、こういった変化の途中のものは、なるべく早く読まないと情報が古くなることも心に留めておかなければならない。現状はまた変化している可能性が高い。
本の読み方も色々あるということを実感する1冊だった。



2026/06/09
160「サックスコンサート」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

サックスのコンサートを聴きに行った。

word,without words/yoshida mitsunori

(saxophone/flute YOSHIDA Mitsunori ・ Pianoforte TAKADA Yukie)


土曜日の夜8時開演で1時間のプログラム。

1日の予定をこなしてから準備をして、のんびりと出かけて1時間という時間を楽しく過ごしてサッと帰宅する。なんとも軽やかで負担の少ないおでかけ。その日は朝からガッツリ掃除をして、様々な手続き系を神経すり減らしてから、少し重めの昼食を食べて作業。一段落したところで準備をしてからコンサートへ向かうという段取り。帰宅してから軽食を食べて寝るだけ。本当に素敵な時間の過ごし方ができた。


サックスという楽器を良く知らない私には、良い意味で無責任に楽しんで聴けるところが嬉しい。どんなに難しいテクニックかも知らないし、管楽器の表現方法は弦楽器とちょっと違う感じでサックスの音をなぞるのも物珍しい。

夫が「老後の楽しみにサックスを習ってみたいなぁ」と言っていたので「あら、吉田さんに習えばいいわね」と言っていたことをいつも思い出す。

夫が住んでいたドイツのマンションは1階に歯科医が住んでいて、夜になると照明を暗くしてサックスの練習をしている姿が見えた。ちょっと気晴らしに吹いているといった風情で机に寄りかかって低い音でバラードを吹いていた。二人で「かっこいいねぇ・・・」とそっと覗いた小さな思い出。


今回は荒井由実のセカンドアルバムをサックスで表現していくという企画。

歌詞がなくメロディーだけだけれど、不思議としっかり歌詞が聞こえてくる。それは吉田さんの楽器に吹き込む息がちゃんと歌詞をなぞっているからなのかなとも思う。ため息のようにうたう、熱量高めにうたう、色とりどりの音がそれぞれの曲に表れてくる。

吉田さんとは聖路加国際病院でのボランティア演奏で知り合った。控え目で優しい音を出す人で、私は特にこの「word,without word」のシリーズがとても好き。多彩な人なので他の演奏も魅力的なのだが、このシリーズは聞き逃さないようにしたいと次回も期待している。